萩
本文約5,500字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
向島の百花園から萩の根を譲り受けた著者は、自宅の庭にそれを植える。折しも周囲で知人や近しい人々の訃報が相次ぎ、著者は慣れない新盆の準備や葬儀に忙殺される日々を送る。庭の萩は一度切り戻されてから再び芽吹き、成長していくが、著者の生活に追われる日々の中で、萩の勢いは次第に衰えていく。本作は、死別や義務に縛られた慌ただしい日常の合間に、季節の移ろいと自身の生活のありようを静かに綴る。
💰 この本を応援する(投げ銭)
おやくそくの萩の根、いつでも分けてさし上げます。おついでのせつ御来園まち上げます、と百花園の佐原平兵衛君からはがきが来た。四月のはじめのことである。……さういはれたからとて、右からひだり、おいそれとすぐ出かけて行けるいまの身の上ではない。……そのまゝ、返事も出さず打捨りッぱなしにしておいた。
と、その月のなかばすぎ、田圃さんこと沢村源之助さんが死んだ。たまにしか逢ふ機会はなかつたものゝ、わたくしにすれば、十四五年にわたる古い附合である。そして、逢へばいろ/\と、いつもいゝ話を聞かせてくれた人である。勿論、わたくしはくやみにも行けば告別式にも行つた。……しづかな、しんみりした、けば/\しいところのちッともない告別式だつた、……わたくしの記憶にもしあやまりがなければ、その日、曇つて糠雨がふつてゐた。……それで、一層、わたくしにさう感じられたのかも知れないが、とにかく、ほとけのその晩年にいかにもそぐつた、……しんみりした……といふことはまた、たま/\ときは春の末の、花の散つたあとの、やさしい、可懐しい感じのする告別式だつた。
初七日の来たとき、わたくしも、東京会館の法事の席にまねかれた。その席で、同時に、亡き人の目のなかに入れても足りないほど可愛がつてゐたむすめさんと、木村錦花君のむすこさんとの結婚が松竹の大谷さんによつて披露された。これで田圃さんも安心して行くところへ行けるだらう。わたくしは胸のひきしまるのを感じた。……主卓の花の白いあやめが、そのかなしみと喜びにむかつて、しづかに、つゝましく、その花びらを垂れてゐた。
だれも無言で珈琲を啜つた。そして、やがて、無言のまゝそれ/″\の席を立つた。
わたくしは小村雪岱さんと一しよに東京会館の階段を下りた。
「どうなさいます?」
小村さんはいつた。
「とにかく銀座まで出ませう。」
わたくしはこたへた。で、そのまゝ、ぶら/\、銀座のはうへ向いてあるいた。しら/″\とした感じに曇つた午後だつた。時計をみるとまだ二時すこしすぎたばかりだつた。
「こんな時間に、こんなところを、こんな暢気にあるくなんてことはとても考へられないことです。」