新秩序の創造
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
文化学会主催の演説会で聴衆を煽り、批判的言動を繰り返す筆者は、演説会における一方的な独白を批判し、壇上の弁士と聴衆との対話を提唱する。警察官や権力者が強いる既存の秩序に抗い、会場での発意と合意を重視する新たな秩序の創造を論じる。弥次という行為を、単なる妨害ではなく、新たな生活や社会制度を現実の中に一歩ずつ築き上げるための実際的な運動であると主張し、対話に基づく人間関係の進化の必要性を綴る。
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一
本月もまた特に評論して見たいと思うほどの評論が見つからない。ただ一つ『先駆』五月号所載「四月三日の夜」(友成与三吉)というのがちょっと気になった。
それは、四月三日の夜、神田の青年会館に文化学会主催の言論圧迫問責演説会というのがあって、そこへ僕らが例の弥次りに行った事を書いた記事だ。友成与三吉君というのは、どんな人か知らないが、よほど眼や耳のいい人らしい。僕がしもしない、またいいもしない事を見たり聞いたりしている。たとえば、その記事によると、賀川豊彦君の演説中に、僕がたびたび演壇に飛びあがって何かいっている。
しかし、そんな事はまあどうでもいいとして、ただ一つ見遁す事の出来ない事がある。それは、賀川君と僕との控室での対話の中に、僕が「僕はコンバーセーションの歴史を調べて見た。聴衆と弁士とは会話が出来るはずだ」というと、賀川君が「それは一体どういう訳だ」と乗り出す。それに対して僕がフランスの議会でどうのこうのと好い加減な事をいう、というこの最後の一句だ。何が好い加減か。この男は自分の知らない事はすべてみんな好い加減な事に聞えるものらしい。
演説会での、僕らのいわゆる弥次、もしくは打ち毀しについては、世間では随分いろんな悪評がある。で僕はこの機会を利用して、この悪評に対する悪評をして見たいと思う。
二
先日、神戸で賀川君と会った時、賀川君もしきりに僕らのいわゆる弥次を批評し、堺利彦君の言葉まで引き合いに出して、あんまり世間の反感を買わないようにと深切らしく忠告までしてくれた。
僕らの弥次に対して最も反感を抱いているのは警察官だ。