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TORENDIA

冬の山

本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

冬の山における登攀の過酷さと、平地や丘陵から山を仰望する雪景色の美しさを論じる。著者は積雪期の高山登山が高度な技術と設備を要する困難な行為であることを説きつつ、軽装で楽しめる雪山歩きの魅力や、季節ごとの山の表情を綴る。本書は冬山を知らない人々に対し、危険と隣り合わせの山行の実態を伝えつつも、雪の峠を越え、その雄大な自然に触れる山旅の愉悦と体験を共有することを目的としている。

木暮理太郎

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🎧 冬の山 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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都大路に木枯が音ずれて、街路樹の梢が日に増しあらわになりまさる頃になると、濁りがちな空の色も流石に冴えて、武蔵野をめぐる山々の姿が、市中からも鮮に望まれる日が多くなる。雪の富士、紫の筑波は言うに及ばず、紫紺の肌美しき道志、御坂の連山の後から、思いも懸けぬ大井川の奥の遠い雪の山がソッと白い顔を出して、このほこらかな文化の都を覗いていることさえも珍しくはない。その鋭い白冷の光は、煤烟と騒音との真中に閉じ込められて、恐らく神経が痲痺するであろう都の山岳宗徒に取りても、高鳴る胸を押し鎮めながら、有りし日の懐しき憶い出――過去の登山――にのみ空しく陶酔しているには、余りに堪え難き刺戟でなければなるまい。少しでも多く山に近寄りたい、否、出来るだけ深く其懐にもぐり込みたい、あの栄光に輝く高嶺の雪!

こうして冬の山の旅は始められるのであろう。

想えば冬の登山、一層適切に言えば積雪期に於ける高山の登攀は、山登りに足を蹈み入れた熱心な人の終に辿る可き道程に外ならぬのであろうが、夏季に於けるよりも数倍の危険が伴い、其上氷や雪に対する知識と技術とを強く要求するものであるから、今の所まだ少数の人々の間に限られている有様である。夏の登山は都会人にあっては既に年中行事という程度にまで進んでいるとしても、一般に普及されたとは考えられない、即ち登山の民衆化という点から観れば漸く半途まで漕ぎ付けた位のものであろう。登山の民衆化などというと、人に依りては或は好んで山を俗化するものであるといきまく向きがあるかも知れない、然し指導と設備さえ誤らなければ、登山の民衆化は決して山を俗化するものではない。山の俗化に名を藉りて、一般の登山者を排しようとするのは、寧ろ陋とす可きであると共に、登山の民衆化を口実として、目前の利益の為に自然を破壊するが如き行為は、厳に警む可きものである。私は少くとも我国の夏の山は登山の民衆化に天与の道場であると信ずるものであるから、其健全なる発達を希望して止まない。

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