一人ならじ
本文約10,300字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
甲斐の武田家に仕える足軽頭・栃木大助は、幼少時より弱音を吐かぬという信念を持つ骨太な男である。永禄四年の川中島決戦を前に「生きて武田家のために働きたい」と語った大助は、戦場で敵の橋を確保する決死の役目を果たす。片足を失い重傷を負うが、再起を期す彼のもとへ、かつての婚約者である初穂が訪れる。果たして大助は再び戦場へ立てるのか。戦国の世に生きる武士の覚悟と、ひたむきな再起への道のりを描く。
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一
栃木大助は「痛い」ということを云わない、またなにか具合の悪いことがあっても、「弱った」とか、「参った」とか、「困った」などということを決して云わない。そのほかどんな場合にもおよそ受け身に類する言葉は選って棄てるように口にしないのである。……だがそれはただそれだけのことで、それゆえに彼が有名だとか人に注目されていたとかいうわけではない、むしろ彼はきわめて目立たない存在だった。
身分をいえば甲斐の武田晴信の家来で馬場信勝に属し、父の代からの二十人がしらである、つまり足軽二十人の頭であるが、それは戦時のことで、平生は僅かに郎党二人と長屋に住んでいるだけだ、風貌もごく尋常だった、むろん美男ではないし醜いというほどでもない、しいて特徴をあげれば、ぬきんでて骨組の逞しいのと、いつも唇をひき結んで力んだような顔をしているくらいのものだろう。……身分も風貌もこういう平凡な男が、どんな場合にも弱音をあげないといったところで、さしたる問題でないのは知れきっている、それでも初めのひと頃かなり人の興味を惹いたことはあった。それは彼が十五歳になった年のこと、父の権六郎が馬場信勝の前へ彼をめみえにつれていって、
「かくべつ取得というものもございませんが、幼少よりがまんだけは強く、これまでかつて痛いと申したことがございません、また決して泣き言を口に致しません、やがて成人のうえはお役の端にもあい立とうかと存じます」
そう披露をした。
戦国の世に武士たる者が痛いと云わず、泣き言を口にしないなどとは当然すぎるはなしだ、その当然なことを取得として披露するにはそれだけの理由があるに違いない。「どうだ、それならみんなでいちど音をあげさせてやろうじゃないか」そう云いだす者があり、よかろうというので、隙を狙ってはやってみたが、本当にどうやっても弱音をあげないのである。……信勝の鞍脇のさむらいに高折又七郎という者がいた、戦場ではいつも抜群のはたらきをするが、ふだんもなかなか後へひかぬ気質で、弁舌でも腕力でもぐんと人を抑えている。或るときこの又七郎がとつぜん大助を捻じ伏せて馬乗りになり、両手でぐいぐいと首を絞めつけた。