めおと鎧
本文約12,100字 ・ 読了時間 約25分
あらすじ(AIが作成しました)
香田孫兵衛は、主君を差し置いて石田三成に媚びる義兄の菊岡与吉郎に対し屈辱を感じていた。ある日、与吉郎が三成に贈るために飼育していた犬を斬殺した孫兵衛は、義絶を覚悟の上で主君の命に従い大役を果たす。その後、敵に追われる日々を送る中で自身の心の迷いに苦しむが、関ヶ原の戦いの地で、義兄の弟である弥五郎から主君の本心と妻の安否を知らされる。武士として死を恐れず生き抜くことの真理を悟り、夫婦の再会を期して戦場を見つめる。
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一
香田孫兵衛が飛竜を斬ったのは、「犬」といういきものが嫌いだったからではない。どちらかといえばかれは犬は好きであった。世間にはよく犬とさえみれば無差別に呼びかけたり頭をなでたりする人がいるが、それ程ではないにしても、好きなほうではあった。しかし飛竜は、かれの好きな犬の部類にははいらなかった。あまりに大きすぎるし、眼つきがわるい。態度が傲慢だった。人を人とも思わぬつらつきで、――おまえたちの弱みはみんな知っているぞ、とでもいうような風をする。権門に依存する人間にはよくある風だ。そして、じっさい飛竜は、権門に媚びるための存在だった。つまり、菊岡与吉郎が、ご主君浅野幸長のおためになるよう、石田三成に贈るしたごころで飼い育てていたものである。与吉郎は孫兵衛には義兄に当っていた。かれの妻の兄である。そのしたになお弥五郎という弟がいて、これはなかなかの武弁者なので気が合ったけれど、義兄とはときが経つほど疎隔するばかりだった。主君のおためにというのはよいが、権門に物を贈るという根性はさむらいとして屈辱である。しかも与吉郎の場合には、あわよくばご主君をさし越えておのれが治部少輔の気にいろうとするようすさえあった。太政大臣秀吉が薨じて一年、豊臣氏の権勢の中枢はいま治部少輔三成の手にあるが如くみえる。これに対して徳川家康がようやくその大きい存在を示しはじめていたし、この二者の対立は心ある人々の眼にかなりはっきりしたものになりつつあったが、めのまえの権勢きりみえない人たちはしきりに治部少輔の門へ出入りした。与吉郎もそのたぐいである。それが孫兵衛にはよくわかっていた。――なんとかしなくてはいけない。折にふれては、そう考えていたのである。その「なんとか」がつまり飛竜を斬ることになったのだ。