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TORENDIA

左千夫先生への追憶

本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

伊藤左千夫との親交を振り返る随筆。著者は、根岸派の歌会を通じて接した左千夫の素朴で懐の深い人柄や、茶や芸術を愛する閑寂な趣味、一方で歌論や小説に対する強烈な自信と進取の気質を綴る。明治期の歌誌「馬酔木」の編集に情熱を注ぎ、門下生を友人のように慈しんだ左千夫の姿や、ハリー彗星の観測に際して催された集いなど、共に過ごした日々を追憶する。著者の留学中に届いた手紙や最後の歌論に触れながら、偉大なる先師の面影を偲ぶ回想録である。

石原純

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🎧 左千夫先生への追憶 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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左千夫先生のことを憶うと、私にはいかにも懐かしい気分が湧いてくる。あの大きな肥った身体、そしてみなりなどにかまわない素朴な態度、その平淡ななかに言い知れぬ深いところを湛えて我々に接せられたことなどに対し、私はどんなに懐かしさを感じているかわからないほどである。

「馬酔木」がはじめて発刊せられたのは明治三十六年のことであった。それ以前から根岸派の歌に親しんでいた私はこれを嬉しく思いながら、先生のことを想像していた。その時分は大学の学生であったが、まだ見知らぬ人をいきなり尋ねて行ってよいかどうかを思いまどいながら数箇月を過ごしてしまった。そのうちに毎月の歌会が先生の宅で開かれるようになったので、この年の秋過ぐるころに、私ははじめてその歌会の日に訪ねて行った。牛乳屋の硝子戸のはまった入口のかたわらに、少し奥まったところに格子戸の玄関が別にあった。そこで案内を乞いながら私ははじめて先生のあの懐かしい面に接したのであった。この折りに見た炉をきった座敷や、愛蔵せられていた茶釜や、無一塵の額面や、それらは今でも私の眼前にちらついて見えるようである。そして先生のおもかげと結びついて私の脳裡に消されずにのこっている。

本所茅場町の先生の家は、もう町はずれの寂しいところであった。庭さきの墻の外にはひろい蓮沼があって、夏ごろは蛙が喧ましいように鳴いていた。五位鷺や葭切りのなく声などもよく聞いた。そこで牛を飼っていながら、茶を楽しみ、歌や文学や絵画を論じていられた先生は、実に高尚な趣味に徹した人であった。雑然たる都会のなかに住んでいた私には、暇を見つけては先生のもとに行って、その閑寂な趣味のなかに浸ることのできるのを、この上なく嬉しく思ったことであった。いつもあまりながく話して、知らない間に夜をふかしてしまうこともしばしばあった。まだ電車などまるでなかったころであったから、本郷の家まで帰るのに、もうひっそりと寝しずまった町々を歩いて来たのであったが、時々はあまりに遅い時間になってしまって、そのまま泊めていただいたことなどもかなりにあった。

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