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TORENDIA

雨粒

本文約2,500字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

雨の多様な趣きに想いを馳せる著者が、雨粒の大きさを吸取紙で測る気象学の手法を糸口として、物事の本質を見極める重要性を説く。日常の中で見過ごされがちな現象に対し、近代的な科学的観察や工夫を通じて輪郭を明らかにすることの意義を考察し、社会や人生の課題に対しても、事態が深刻化する前に認識を深める姿勢が求められると論じる。ウィルソン霧箱の例などを引きつつ、物理学的な視点から社会や教育のあり方までと思索を広げる。

石原純

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🎧 雨粒 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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そろそろさみだれの季節がやって来る。

同じく雨ではあっても、ふしぎに季節や環境によってその感じは非常にちがっている。それで我国では雨にいろいろな名まえがつけられている。春さめ、さみだれ、しぐれ、驟雨、ゆうだち、霧雨、小糠雨、その外にもなおあるであろう。そう云う雨のいろいろな感じのなかには、雨の音がかなりな役目をはたらいている。さみだれの静かに降りそそぐ音とか、ゆうだちの激しくものを撃つ音とか、音もなくひっそりと濡らしてゆく小糠雨とか、みんなそれぞれの趣きをそなえているのである。

ものしずかに雨の音を聞いていると、いろいろな記憶が心のなかによみがえって来るのも、一つのなつかしげな風情である。

ところで、ちょっと見方を変えて、雨というのはたくさんの水粒が空から生れて、地上に落ちて来るものだと考え出すと、恰もそれらが人間の運命を象徴しているようにも思われる。こういう水の粒にもいろいろの大いさのものがある。眼で見ると、雨は普通に細い線につながって見える。雨の落ちるのはそんなに速いのではないが、それでも人間の眼はその粒を見分けるわけにはゆかない。

そこで雨粒の大いさを測るのにはどうしたらよいか。気象学では、そのためにちょっとおもしろい方法をつかっている。それは雨粒の落ちるのを吸取紙で受けて、紙の上に滲み拡がる面積を測るのである。それから別に半径のわかっている水粒を同質の吸取紙に滲ませてその面積を雨の場合と比較すれば、これから雨粒の大いさを知ることができようと云うのである。

この方法は科学的にはさほど精密だとは云い難いが、雨粒の大いさなどは個々にそれ程精密に知る必要はないのであるし、大体の平均がわかればよいのだから、これでも十分に間に合うのであろう。私がそれをおもしろいと云うのは、雨が何事もなく落ちている間は、人間の眼でその大いさなどはっきりとわからないのに、紙で受けとるとそれがはっきり見えるようになると云うことである。生きているうちはさほどとも思われない人間が死ぬと急にその偉さが世間に認められると云うことなども、之と似ている。

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