TRENDIA CLASSIC

遁走

小山清

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私は中学校の三年生のとき、家出をしたことがある。原因はいまだから話すが、幾何の宿題をなまけて、先生から叱られるのが恐かったからである。

私の学校の幾何を担任していた先生は、とても恐かった。まだ若い人だったが。独身だったか、妻帯していたか、そんなことはわからない。いま想像してみても、どちらとも見当はつかない。独身であったかも知れないし、あるいは妻帯していたかも知れない。色黒で、痩せていて、目が光っていた。神経質の方だろうな。そう、一寸フィリッピン人のような感じがした。

私はいまでも、あの先生がどうしてあんなに怒ったのか、わからない。察しがつかない。問題を当てられても解けず、黒板の前で立往生をしていると、また宿題をやって来なかったのがばれたりすると、先生は怒った。その怒り方は実に恐かった。怒るばかりでなく、生徒の頭をこづいたような気もする。なにしろ恐かった。なにもあんなにまで怒らなくとも、いいのではなかろうか。ともかく、生徒に対してあんな風に怒り、そして叱った先生の心理は、私にはどうにも見当がつかない。あれは少し異常ではなかろうか。それとも、そんなにまで先生を恐怖した私の方が異常だったのだろうか。明日幾何の授業があるという前日は、私は憂鬱でかなわなかった。私が憂鬱という感情をしみじみ実感したのは、私の人生に於ては、このときが最初ではないかと思う。

月曜日には幾何の授業があった。私は朝飯の途中で、茶碗と箸を膳の上に置き、顔を顰めて、母に訴える。

「おなかが痛いよ。」

「お前またきのう蜂蜜を呑んだんだろう?」

「うん。」と私はいかにもしおしおとした顔つきをしてうなずく。

「だから、もう呑んじゃいけないって、あれほど云ったじゃないか。」

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