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TORENDIA

井伏鱒二によせて

本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

太宰治や牧野信一といった故人との記憶を軸に、井伏鱒二の人間性や作品世界を綴った随筆。太宰との生活の速度の違いを象徴する点滴の音や、牧野から譲られたステッキにまつわるエピソードを通じ、井伏が抱える心の葛藤やこだわりを描く。また、初期作品「夜ふけと梅の花」から晩年の「晩春の旅」までを辿り、著者の視点からその文学的特質や人間味を紐解きながら、井伏の生き方や作品に触れることの幸福について論じている。

小山清

速度
🎧 井伏鱒二によせて / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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井伏さんに「点滴」という文章がある。太宰治を追憶した文章である。それによると、太宰と井伏さんとは、水道栓から垂れる雫の割合のことで、無言の対立を意識していたようである。太宰は一分間に四十滴ぐらいの雫が垂れるのを理想としていたようで、そして井伏さんは一分間に十五滴ぐらい垂れるのを理想と見なし、いまでもそうだという。終戦前、二人が疎開していた甲府の宿屋の洗面所の水道栓から漏れる点滴の話である。太宰は手洗いに立つたびに、その水道栓をいつも同じくらいの締めかたにして、自分の好みの割合で雫が垂れるようにし、しかも洗面器に一ぱい水をためておき、水音がよく聞かれるような仕掛けをして置く。それを井伏さんが手洗いに立って行って、自分の理想とするところのものに訂正して置く。それをまた太宰が手洗いに立ったときに改める。太宰の場合は、水道栓から漏れる雫は、「ちゃぼ、ちゃぼ、ちゃぼ……」というせわしない音を立て、井伏さんの場合は、「ちょっぽん、ちょっぽん、ちょっぽん……」というようなゆっくりした音を立てた。そして二人は互いに素知らぬ顔をしていたようである。「何という依怙地な男だろう」と井伏さんは太宰のことをいっている。この話はおもしろい。二人の生活の速度というようなものが、図らずも、この点滴の割合にあらわれているように思われる。井伏さんと太宰とでは、その理想とする点滴の緩急に、数にして二十五滴のひらきがある。そして二人は、それぞれの生活の速度の基本を、そんなところに置いていたようである。四十滴を理想としていた太宰は、井伏さんを置いてけぼりにして、駈け足でこの世からさよならしてしまった。無言の対立に、そんな仕方で結末をつけたというわけだろうか。この文章にあらわれている限りでは、井伏さんは単に二人の好みの水音のことを話しているだけで、思うに二人の生き方がこうであるなどとはいっていないのである。たとえ井伏さんがそれを意識しているとしても、それをあらわに語らないところに、井伏文学というものがあるのだろうから。この文章を読んで私がこんなことをいうのは、これは程度の低い批評家根性がさせるようなもので、こんなことを書くのは、くだらないのだ。まして私が二人の間にわり込んで、おれの生き方を水滴の数に換算すればこのぐらいだろうなどといったとしたら、なおなお下司なことになるだろう。この文章を読む者は、友達の死後、またその宿屋へ出かけて行って、もう誰も消しに来る者のない水道栓から漏れる水音を聞きながら、依怙地な友達のことを、いや友達の依怙地さを追憶している井伏さんの心の温度を感じとればいいのだ。この文章には次のような数行もある。

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