朴歯の下駄
本文約8,000字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
貧しい勤め人である「私」は、廓のK楼で働く十八歳の女性と知り合う。朴歯の下駄を履く「私」を親しく迎える彼女は、素朴で穏やかな人柄で「私」の心に寄り添う。やがて二人は日光への旅に出かけ、共に穏やかな時間を過ごす。東京へ戻った後、彼女が突然店を去ったことを知らされた「私」は、彼女が残した言葉を心の支えとして、今も自分自身の人生を歩み続けている様子を描く。
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むかしの話だ。
私がそのみせの前を通ったとき、そこの番頭さんが、
「よう、前田山。」
と私のことを呼びかけた。その頃私は廓を歩くと、いつも「応援団長」とか「朴歯の旦那」とか呼ばれた。私は久留米絣の袷を着て、袴をはいて、そうして朴歯の下駄をガラガラ引き摺って歩いていたのである。私にはそのほかにどんなよそゆきの持ち合せもなかったのだ。「前田山」は頬をほてらせてみせの中へ入っていった。私はもう上気していて、履物を脱いでしまったような気持になっていた。番頭さんは、
「学生さんには、またそのように、遊んでいただきます。」
など殊勝なことを云った。私はすでに学生ではなくて、貧しい勤人の明け暮れを送っていたのであるが、日没頃の物悲しさをもてあますようになっていた。番頭さんは私の顔を窺って、
「若いのがいいでしょう。」
「うん。」
番頭さんは初見世と書いてあるびらを指さし、
「この妓がいいでしょう。今日でまだ三日にしかなりません。」
私はまずその妓の印象を得たいと思い、そこに並べてある写真の中を探してみたが、見つからない。私は決して気難しい男ではないが、ただあまり邪慳な感じのする女には、ぶつかりたくないと思った。
「写真ないね。」
「ええ、写真はいま作製中です。おとなしい可愛い妓ですよ。十八ですよ。」
番頭さんは私の心中の当惑を見ぬいたような口をきいた。私は少しく心許ない気もされたが、登楼した。こうして私は彼女を知った。可愛いという言葉は必ずしもいつわりではなかった。私は彼女の細い眼や低い鼻に親しみを惹きだされた。
「君の写真は作製中だそうだね。」
「ええ、まだ出来てこないの。」
「君はいつからみせに出たの?」
「今日で十二日になるわ。」
「君は十八だって?」
「ううん、十九。」