断崖
本文約13,100字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
K温泉の断崖で、ある女と男が過去の出来事を振り返る。女は、かつて夫が計画した完全犯罪の記憶と、自身の周囲で起きた不可解な事件について語り始める。男はそれを聞きながら相槌を打ち、やがて男自身も女に殺意を抱いていたことが露呈する。二人は崖の上で対峙し、逃れられない運命と罪の意識の中で、冷徹な対話の果てに衝撃的な顛末を迎える。女は、自身の正当防衛という名の恐るべき本性を露呈させ、夕陽に染まる断崖に立ち尽くす。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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春、K温泉から山路をのぼること一哩、はるか眼の下に渓流をのぞむ断崖の上、自然石のベンチに肩をならべて男女が語りあっていた。男は二十七八歳、女はそれより二つ三つ年上、二人とも温泉宿のゆかたに丹前をかさねている。
女「たえず思いだしていながら、話せないっていうのは、息ぐるしいものね。あれからもうずいぶんになるのに、あたしたち一度も、あの時のこと話しあっていないでしょう。ゆっくり思い出しながら、順序をたてて、おさらいがしてみたくなったわ。あなたは、いや?」
男「いやということはないさ。おさらいをしてもいいよ。君の忘れているところは、僕が思い出すようにしてね」
女「じゃあ、はじめるわ。……最初あれに気づいたのは、ある晩、ベッドの中で、斎藤と抱きあって、頬と頬をくっつけて、そして、斎藤がいつものように泣いていた時よ。くっつけ合った二人の頬のあいだに、涙があふれて、あたしの口に塩っぱい液体が、ドクドク流れこんでくるのよ」
男「いやだなあ、その話は。僕はそういうことは詳しく聞きたくない。君の露出狂のお相手はごめんだよ。しかも、君のハズだった人との閨房秘事なんか」
女「だって、ここがかんじんなのよ。これがいわば第一ヒントなんですもの。でも、あなたおいやなら、はしょって話すわ。……そうして斎藤があたしを抱いて、頬をくっつけ合って泣いていた時に、ふと、あたし、アラ、変だなと思ったのよ。泣き方がいつもより烈しくて、なんだか別の意味がこもっているように感じられたのよ。あたし、びっくりして、思わず顔をはなして、あの人の涙でふくれ上った目の中をのぞきこんだ」
男「スリルだね。閨房の蜜語が忽ちにして恐怖となる。君はその時、あの男の目の中に、深い憐愍の情を読みとったのだったね」
女「そうよ。おお可哀想に、可哀想にと、あたしを心からあわれんで泣いていたのよ。……人間の目の中には、その人の一生涯のことが書いてあるわね。まして、たった今の心持なんか、初号活字で書いてあるわ。あたし、それを読むのが得意でしょう。ですから、一ぺんにわかってしまった」
男「君を殺そうとしていることがかい?」