杉田玄白
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あらすじ(AIが作成しました)
江戸時代の医学は、西洋医学の輸入と解剖の実践を経て大きく発展した。若狭酒井侯の侍医であった杉田玄白は、親友の前野良沢らと共に行なった小塚原での人体解剖に衝撃を受け、ドイツの解剖図譜の翻訳に着手する。四年におよぶ苦心の末に完成した『解体新書』は、日本の医学史に多大な功績を残した。本書は、玄白の生涯や先覚者たちの苦闘、そして門人大槻玄沢による重訂を経て完成された医学の変遷を描く。
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江戸時代の医学
自然科学のいろいろな部門がすべてそうであったように、医学もまた我が国でだんだんに発達して来たのは明治以後のことでありますが、しかしそうなるまでにはやはり江戸時代の終り頃に多くの蘭学者たちによって西洋の医学がさかんに輸入されたことを見のがしてはならないのです。もちろんそれ以前にも我が国に医術というものが無かったわけではないのですが、それらはただ個々の経験を集めたようなものであって、まだ全く学問として系統立ってはいなかったのでありましたし、またわれわれ人間のからだのなかのいろいろな器官がどんなものであり、どんな働きをしているかと云うようなことは、まるでわかっていなかったのですから、本当の意味での医学が発達するのには、どうしても西洋の医学を輸入する必要があったのでした。ところでこれを実際に行った人々のなかで、ここにお話ししようとする杉田玄白やまた前野蘭化などと云うのが特に名だかいのですが、それに続いてたくさんの蘭学医が出たので、今日の人々はこれらの先覚者たちの並々ならぬ苦心とその功績とを忘れてはならないのでありましょう。
尤も杉田玄白よりも少し以前に、京都に山脇東洋という名だかい医者がありました。その父の清水東軒という人も同じく医者で、山脇玄修という人について医学を修めたのでしたが、後に東洋がその養子となって山脇と名のったのだということです。しかしこの医学というのはその頃古医方と云われていたもので、上に述べた西洋の医学とはちがったものであったのですが、山脇東洋は人体の本当の有様を知るのには、どうしてもこれを実際に解剖して真相を見きわめなくてはならないと感じ、久しい間それを念願していたのでした。