日本文化と科学的思想
本文約4,000字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
科学的思想を欠いたまま国粋主義を固執する日本の危険性を説く。日本文化は歴史的環境の影響で具象的な直観と思考に偏り、科学的研究における創意の欠如を招いている。関孝和による和算の高度な発展は抽象的論理能力の存在を証明するが、それが実用から隔絶された遊戯に留まった事実を指摘する。将来の国家発展のためには、知識の習得にとどまらず、従来の偸安的な習性を排し、根本的な科学的思想の涵養が不可欠であることを論じる。
💰 この本を応援する(投げ銭)
種々の学術の中で科学、特に数学や自然科学は純粋に客観的なものであり、したがって最も国際的なものとして考えられてきたのはほとんど当然と見なされていたにもかかわらず、ひとたびドイツにおいてナチス政治がはじめられるにおよんで、その強烈な国粋主義の実現とともに、ユダヤ思想の排撃が行われ、ついに科学の民族性の主張が叫ばれ、ドイツ数学やドイツ物理学のごときが強調せられるに至ったのは、世界における一つの驚くべき思想的異変といわねばならない。
ところで国粋主義のしょうどうは日本においても近時いちじるしく盛んであるのは、あたかもドイツに似ているともいわれるであろう。たとえここにはかのごとき政治的強圧は行われていないとはいっても、口に日本精神を称えないものはあたかも非国民であるかのごとくに見なされるばかりである。まことに恐ろしい世の中であるといわねばならない。だが、しかしわれわれはどこまでも冷静にこの日本精神なるものの内容を検討してゆくことを忘れてはならない。そこにはわれわれが今日ぜひとも必要とする科学的思想がどれほど含まれているのであるか。もしこれが十分でないとするならば、それはそもいかなる事情に由来するのであるか。これらに関する根本的な考察は、われわれの日本文化を将来において正しく導くために絶対に必要であって、かような考慮なしに単に国粋主義を固執するのはむしろはなはだ危険な思想的傾向であるとせねばならないであろう。