伊能忠敬
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あらすじ(AIが作成しました)
上総国に生まれた伊能忠敬は、商人として家運を立て直した後、五十歳で隠居し江戸へ向かう。暦学者高橋至時に師事して天文や測量術を習得し、正確な地図作製を志す。幕府の命を受け五十六歳で蝦夷地の測量を開始して以降、十八年かけて全国を巡り、歩測や工夫を凝らした器械を用いて日本地図を完成させる。本書は、困難な時代に独力で偉業を成し遂げたその生涯と学問への情熱、そして測量技術の功績を記録し解説するものである。
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地図の作製
どこの国でも、その国の全体の有様を知るのには、地図がつくられていなければなりませんが、正しい地図をつくるのには、すべての場処に出かけて行って土地の測量を正確に行わなければならないのは、言うまでもありません。ところが、我が国においてそのような正確な土地の測量は、昔は殆んど行われていなかったので、従って正しい地図もまるでなかったのでした。それと云うのも、このような測量をするのにはいろいろの精密な器械も必要でありましたし、また土地測量の基準として星の位置を正しく観測することも必要であったからです。そこで、このような仕事が、我が国では最初に誰によってなされたのかと云いますと、それはここにお話ししようとする伊能忠敬に依るのでありまして、しかもその測量は日本全国に及んでいるのですから、実に驚くべき事がらでもあるのです。それは今から百数十年も前のことでありますし、その時代にはどこへ旅をするのにも、すべて自分で足を運ばなくてはならなかったので、全国の地図を完成するのにも、二十年に近い歳月を費さなくてはならなかったのでした。そのようなことを思うと、この大きな仕事を自分一人でなし遂げた伊能忠敬の功績はまことにすばらしいものであったと云わなければなりますまい。そのほかに、ちょうどこの時代にはわが国の北辺がようやく騒がしくなり始め、それに伴れて林子平の『海国兵談』なども出て、国防の問題もいろいろ議論せられるようになっていましたので、それにつけても正確な地図が必要とされたに違いないのですから、この点から見ても忠敬の仕事は大きな意味をもっていたと云わなければならないのでしょう。
ところで、忠敬がどのようにしてこの土地測量の仕事を始めるようになったかと云うことについても、ともかくも古い昔の時代であっただけに、特別な決心が必要であったのに違いないので、それらの事がらについて、次に少しくお話しして見たいと思います。
忠敬の前半生