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TORENDIA

穂高岳

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

徳本峠を越え、残雪の残る山道を登りきった瞬間に眼前に現れた穂高の雄大で神々しい姿を綴る。作者は山中を歩き回り自然と一体化する動的な喜びと、時間が止まったかのように山と魂が対峙する静的な喜びを説く。とりわけ峠の頂上で急激に視界が開け、威厳に満ちた山相と直面した際の感動を、自己と対象が分かちがたく融合する心境とともに描き出す。山岳の美と対峙する中で得られる至福の体験を回想した一編である。

幸田露伴

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🎧 穂高岳 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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山岳の秀美や荘厳を受取って吾が心霊の怡悦と満足とを覚える場合はおのずから二つある。一つは自分が歩きながらに絶えず変化して吾が眼前に展開し行く奇岩や峭壁や、高い嶺の雲や近い渓の水や、風に揺ぐ玉樹の翠や、野に拡がる草の香や、姿を見ぬ仙禽の声や、然様いう種々のものの中を、吾が身が経巡り、吾が魂が滾転し行いて、そして自分というものを以て幽秘神異の世界を縫って行く場合である。恰もそれは測り知る可からざる霊智と妙技とを以て描かれた大画巻を一尺二尺と繰りひろげながら驚異感嘆の心をもて観賞し行く心持である。又恰も大手腕ある史家が描いた一歴史を感動に満ちた心を以て一頁一頁と読みに行く心持である。そして其等にも増した何とも云えぬ感激を以て山径水涯を過ぎ行く其の心持というものは、到底比擬すべき何物も無い霊秘なものである。其筈である、大画巻も大文章も畢竟は自然の復現であって、これは自然の直現であり端的であるからである。

扨又他の一つはそれとは異なった場合であって、前のは吾が魂を以て自然境を縫った場合であるが、それは猶お時間というものが存在している。然るに其の時間という生緩いものも無くなって、礑と自然に魂が直面して打たれた場合である。前のは動的であるが、これは静的である。前のは吾が感官や神思が働いているのであるが、これは時間が脱したようなのであるから、次第を以て動く余地も無く、ハタと衝当った瞬間に、吾が目は看ているに相違無く、吾が耳は聞いているに相違無く、吾が魂は何物かに対しているに相違無いが、時間というものを除けば万物は静止するような道理で、吾も吾にあらず、彼も彼ならざるが如くになって、吾が魂の全部が対境の全部であり、対境の全部が吾が魂の全部であるようになり、即ち自他一如、心境同融の宗教的光景に入る場合である。それは即ちアッと云って心身脱落したようになってその神境的山岳にたいした場合である。

乙女峠で富士を瞰るのもそれである。駿河の海上から富士を看るのもそれである。高山で日出を看るのもそれの類である。徳本峠を上りきって穂高を望むのもそれの雄なるものである。

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