扉が開いたけれど、私は廊下に立ちどまってもじもじしていると、
「此室でございます」
私を迎えに来て其家まで案内してくれた婆さんが、こういって再び促したので、私は思いきって入って行った。
室内はいやにうす暗くて、初めは低い蓋をかぶせたランプの外何も見えなかったが、だんだん眼が慣れて来るにしたがって、一箇の人影がぼんやりと壁にうつっているのを認めた。その影はじっとして動かなかった。何しろ痛ましく痩せおとろえて、殆んど骨と皮ばかりになって、顔なども尖々しく見えた。
石油の臭いとエーテルらしい臭いが私の鼻をついた。しんとした死の国のような静寂の中で、屋根のスレートを叩いている雨と、煙突に風のうなる音が聞えるだけであった。
「先生」
婆さんは寝台へ屈みこむようにして静かに声をかけたが、そのときに寝台がやっと私の眼にも見えて来たのであった。
「先生、貴方が会いたいと仰しゃったお方をお伴れしました」
すると影の主はあわてて半身起きあがって、
「ありがとう、マダム。もういいです、帰って下さい」
かすかな声である。
やがて、婆さんが扉を締めて出て行ったのを聞きすましてから、その声が改めて私に挨拶をした。
「こっちへお寄り下さい、貴方、私は眼が霞んで物の見分けもつかぬ上に、耳鳴りがしてお話もよく聞き取れません。どうぞ、ずっと傍へいらして下さい、そこに椅子がありましょう。お呼び立てして大変失礼でしたが、実は、是非貴方にお話ししなければならぬことがありますので」
彼は私の方へ顔をさしのべて眼をぎろりと見張った。そして震えながら覚束ない声で、
「貴方はジェルヌーさんですね。検事のジェルヌーさんでしょう」
と念をおした。
「そうです」
私が肯ずくと、安心したようにほっと溜息をして、
「これで、私もいよいよ告白が出来ることになりました」
とその年老いた病人は語りだした。
「先刻あげた手紙にはプリエと署名しましたが、あれは私の本名ではありません。御覧のとおり、私はもう死神に取憑かれているので、人相も変ってしまったでしょうが、幾らか昔の面影が残っているなら、おぼろげにも見覚えがおありでしょう。然しそれはまア何うでもいいです。