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TORENDIA

科学の限界

本文約8,600字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

科学の進歩は著しいが、その恩恵にあずかる社会でもなお戦争や貧困は続く。科学は再現可能性という原則に基づき、統計的な処理が可能な範囲において強力な力を発揮する学問である。しかし、この原則が適用できない個人の問題や人生の本質的な問いに対しては無力である。科学と宗教や芸術は、対象とする領域が全く異なる別個の精神活動であり、互いに優劣を争うものではなく、人間の精神生活において両立し融合すべきものであると論じる。

中谷宇吉郎

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今世紀にはいってからの科学の進歩には、まことに目ざましいものがあった。とくにこの十年以来、その進歩は、一大飛躍をなし、原子力の開放、人工衛星の打ち揚げなど、人類の歴史の上に、金字塔として残る幾多の事業を為しとげた。

こういう華々しい科学の成果に幻惑された人々の中には、あたかも科学を万能のものとする考え方が、次第に一つの風潮となりつつある。そして科学がさらに数段の進歩をすれば、人間のいろいろな問題が、全部科学によって解決される日が来るかの如き錯覚に陥っている人もあるようである。宇宙時代というような言葉が流行し、それが何か人間を変えることのように思われているのも、その一つの現われである。月や火星の景色を見たり、其処にある資源が利用できる日が来ても、それは百年前に、北極や南極へ行ける日を夢見ていたのと、同じことである。今日では、北極へも南極へも、飛行機ならば、文明圏から、十数時間で行ける。しかしその時代でも、人間は、相変らず、戦争や貧困におびえている。

科学が非常に強力なものであることには、誰も異論はない。しかしそれは、科学の処理し得る問題の範囲内での話である。一歩その範囲の外に出れば、案外に無力なものである。科学的とか、科学精神とかいうような言葉が、方々で使われ、人生問題や、政治の問題などにも、よく顔を出している。もちろん正当な意味で使われている場合もあるが、多くの場合は、それ等の言葉は、アクセサリーとして使われている。或いは「科学者の意見」として、ジャーナリズムに担がれている場合もある。

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