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TORENDIA

科学ブームへの苦言

本文約12,200字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

科学ブームの時代において、ジャーナリズムが科学知識の欠如から誤った情報を発信したり、自己の主張に有利な知識のみを引用したりする弊害を論じる。深海探測や動力協定をめぐる議論の空転を例に挙げ、科学ブームが国民の生活や国情に直結する課題を置き去りにしている現状を批判する。真に科学を発展させるには、国民全体の科学的知識の向上と、基礎的で地味な研究の重要性を再認識し、ジャーナリズムが冷静に協力する姿勢が求められると説く。

中谷宇吉郎

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科学ブームの発生

この数年来の科学の飛躍的発展は、今さら述べ立てるまでもない。人工衛星、原子力問題、人工頭脳、南極観測と……、この近年の新聞や雑誌に、科学関係の記事が、一つも載らない日は、まず無いといってよい。まさに科学ブームの時代である。

二十五年ばかり前に、朝日新聞が、初めて科学欄をつくり、月に一回か二回、科学の記事を載せ始めたのは、当時としては、まさに劃期的な壮挙であった。それまでは、科学の記事といえば、社会面のトップに、いわゆる「世界的大発見」の記事が、一日だけあらわれて、すぐ消えて行く程度のことであった。まさに隔世の感がある。

科学が今日のように発達してくると、政治も、経済も、科学を抜きにしては、動くことができない。従って科学関係の記事が、新聞の第一面や第二面、あるいは総合雑誌の巻頭にあらわれるのも当然なことである。これは何も日本だけの話ではない、世界的の現象である。しかしこの現象を、近年の日本の場合について考えてみると、この科学ブームが、必然性から産まれてきたものか否か、いささか疑わしい点がある。

もちろんそういう現象が、現実に生じている以上、そこには、必然性があったことは、確かである。しかし必然性という言葉を、もっと狭義に考えて、今日の日本の科学ブームが、日本の政治なり、経済なりと、直接のつながりがあるか否かという点になると、大いに吟味を要する。

ジャーナリズムにおける科学ブームは、科学振興の基盤となるものであって、その点では、大いに歓迎すべきことである。しかしそのブームが、国情と時代との必然性から産まれたものではなくて、誤ったジャーナリズム、すなわちその日その日主義の産物として、産み出された場合は、かえって科学振興の害になる。

その弊害は、いろいろな形をとって、現われてくる。単なる民衆の好奇心に迎合する場合は、よく非難されるが、それはまだ罪の浅い方であるが、もっと悪質なのは、自己の主張を有利にするために、科学の一部の知識だけを引用し、大衆の科学知識の欠如に乗じて、ことを為そうとする傾向が出てくることである。

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