愉快な教室
本文約10,200字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
小動物や草木を愛する天性を一族で受け継ぐ語り手の家系と、その甥の娘であり文才と鋭い感性を持つU子の日常を描く。物語は、U子が憧れる姉の学校で、生徒たちが野良犬を教室に招き入れて飼育する様子や、E子という生徒が犬たちと交流を深め、周囲の女生徒たちと騒がしくも愉快な学園生活を送る様子を追う。犬と少女たちが共存する教室で、教師の目を盗みながら繰り広げられるにぎやかな日々を物語の軸とする。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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(1)
ラフカディオハーン――帰化して日本の名を小泉八雲と名告った文豪の意見によると、人間の草木や小動物に対する愛情の有無というものは先天的な天性によるもので、後天的に教育によっては与えることのできないものであるということであるが、幸なことにわたくしは、この天性を父母から極めてゆたかに受け継いで来ている。母は草木の好きな人であったし、父は小動物を愛する人であった。わたくしはこの天性を世にも有難いものに思い、これあるがためにわたくしは人生を他の人々よりどれだけ楽しく生きているか知れないといつも感じている。
わたくしは二三年前、人から橙色の美しくて啼きのいいローラカナリヤを贈られて愛育していたのに、この間、死なせてしまい、このごろ窓の外に春の陽ざしのうららかなのを見ると、カナリヤが生きていたら、もうそろそろ啼きはじめるころなのにとその声の聞かれないのがさびしく、時にはテレビーの電話の音などをそら耳にカナリヤの歌に聞くことなどさえある。
わたくしばかりでなく、わたくしの一族の者は誰も彼もみなこの好もしい天性をそなえている。先ず息子の松吉は数年前、酔っぱらって夜更けに帰る途中、春の雪解のなかで泥んこになっていた小猫をかわいそうなと拾い取って外套のポケットへ入れて来たことがあった。
「まだ眼もあいていないこんなものはつれて来ても育つものか。もう死にかかっている」
というのに、牛乳などを与えていたが、それさえ飲めないで、果して一二日のうちに死んでしまった。
それでもなおこりないで、その次には前のよりはいくらか大きいのを連れて来て、今度のは無事に育ってチビというやすっぽい名にもかかわらず、すばらしく大きく、堂々たる虎猫になり、今はデカチビと呼ばれて、現にわたくしの家のなかにのさばり返っている。別にしつけたわけでもなかったが、カナリヤの籠は一度もねらったことはなかった。なかなかかしこい奴でドアや大きな引戸なども上手に開けて出入する。