非凡なる凡人
本文約8,400字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
横浜で電気技手として働く桂正作は、天才ではないが凡人とも言い難い、「非凡なる凡人」と評される青年である。少年期から『西国立志編』を愛読し、逆境や家庭の困難にも屈せず、堅実な計画性を持って着実に目的を成し遂げてきた。本書は、幼馴染である語り手が、その誠実な人柄や弟たちの自立を支える献身的な姿、そして仕事に真摯に向き合う現在の様子を描き出し、彼の生き方を賛美する。
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上
五六人の年若い者が集まって互いに友の上を噂しあったことがある、その時、一人が――
僕の小供の時からの友に桂正作という男がある、今年二十四で今は横浜のある会社に技手として雇われもっぱら電気事業に従事しているが、まずこの男ほど類の異った人物はあるまいかと思われる。
非凡人ではない。けれども凡人でもない。さりとて偏物でもなく、奇人でもない。非凡なる凡人というが最も適評かと僕は思っている。
僕は知れば知るほどこの男に感心せざるを得ないのである。感心するといったところで、秀吉とか、ナポレオンとかそのほかの天才に感心するのとは異うので、この種の人物は千百歳に一人も出るか出ないかであるが、桂正作のごときは平凡なる社会がつねに産出しうる人物である、また平凡なる社会がつねに要求する人物である。であるから桂のような人物が一人殖えればそれだけ社会が幸福なのである。僕の桂に感心するのはこの意味においてである。また僕が桂をば非凡なる凡人と評するのもこのゆえである。
僕らがまだ小学校に通っている時分であった。ある日、その日は日曜で僕は四五人の学校仲間と小松山へ出かけ、戦争の真似をして、我こそ秀吉だとか義経だとか、十三四にもなりながらばかげた腕白を働らいて大あばれに荒れ、ついに喉が渇いてきたので、山のすぐ麓にある桂正作の家の庭へ、裏山からドヤドヤと駈下りて、案内も乞わず、いきなり井戸辺に集まって我がちにと水を汲んで呑んだ。
すると二階の窓から正作が顔を出してこっちを見ている。僕はこれを見るや
「来ないか」と呼んだ。けれどもいつにないまじめくさった顔つきをして頭を横に振った。腕白のほうでも人並のことをしてのける桂正作、不思議と出てこないので、僕らもしいては誘わず、そのまままた山に駈登ってしまった。
騒ぎ疲ぶれて衆人散々に我家へと帰り去り、僕は一人桂の宅に立寄った。黙って二階へ上がってみると、正作は「テーブル」に向かい椅子に腰をかけて、一心になって何か読んでいる。