TRENDIA CLASSIC

酒中日記

国木田独歩

1 / 31

五月三日(明治三十〇年)

「あの男はどうなったかしら」との噂、よく有ることで、四五人集って以前の話が出ると、消えて去くなった者の身の上に、ツイ話が移るものである。

この大河今蔵、恐らく今時分やはり同じように噂せられているかも知れない。「時に大河はどうしたろう」升屋の老人口をきる。

「最早死んだかも知れない」と誰かが気の無い返事を為る。「全くあの男ほど気の毒な人はないよ」と老人は例の哀れっぽい声。

気の毒がって下さる段は難有い。然し幸か不幸か、大河という男今以て生ている、しかも頗る達者、この先何十年この世に呼吸の音を続けますことやら。憚りながら未だ三十二で御座る。

まさかこの小ぽけな島、馬島という島、人口百二十三の一人となって、二十人あるなしの小供を対手に、やはり例の教員、然し今度は私塾なり、アイウエオを教えているという事は御存知あるまい。無いのが当然で、かく申す自分すら、自分の身が流れ流れて思いもかけぬこの島でこんな暮を為るとは夢にも思わなかったこと。

噂をすれば影とやらで、ひょっくり自分が現われたなら、升屋の老人喫驚りして開いた口がふさがらぬかも知れない。「いったい君はどうしたというんだ」と漸とのことで声を出す。それから話して一時間も経つと又喫驚、今度は腹の中で。「いったいこの男はどうしたのだろう、五年見ない間に全然気象まで変って了った」

驚き給うな源因がある。第一、日記という者書いたことのない自分がこうやって、こまめに筆を走らして、どうでもよい自分のような男の身の上に有ったことや、有ることを、今日からポツポツ書いてみようという気になったのからして、自分は五年前の大河では御座らぬ。

ああ今は気楽である。この島や島人はすっかり自分の気に入って了った。瀬戸内にこんな島があって、自分のような男を、ともかくも呑気に過さしてくれるかと思うと、正にこれ夢物語の一章一節、と言いたくなる。

酒を呑んで書くと、少々手がふるえて困る、然し酒を呑まないで書くと心がふるえるかも知れない。「ああ気の弱い男!」何処に自分が変っている、やはりこれが自分の本音だろう。

国木田独歩の他の作品