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TORENDIA

映画時代

本文約13,400字 ・ 読了時間 約27分

あらすじ(AIが作成しました)

高知の田舎で少年時代を過ごした著者が、手製の影絵や幻燈機に触れた原体験を回想する。さらに活動写真への変遷をたどり、映画が現実を写すだけでなく独自の創造性を持つ芸術であることを論じる。絵巻物を映画の先駆者と位置づけ、時間と空間を自在に操作する「時の器械」としての特質を考察し、現代の映画が抱える表現や保存のあり方について思索を綴る。

寺田寅彦

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幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴[#「饗宴」は底本では「餐宴」]に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、ある大工さんのおはこの影絵の踊りであった。それは、わずかに数本の箸と手ぬぐいとだけで作った屈伸自在な人形に杯の笠を着せたものの影法師を障子の平面に踊らせるだけのものであった。そのころの田舎の饗宴の照明と言えば、大きなろうそくを燃やした昔ながらの燭台であった。しかしあのろうそくの炎の不定なゆらぎはあらゆるものの陰影に生きた脈動を与えるので、このグロテスクな影人形の舞踊にはいっそう幻想的な雰囲気が付きまとっていて、幼いわれわれのファンタジーを一種不思議な世界へ誘うのであった。

ジャヴァの影人形の実演はまだ見たことがないが、その効果にはおのずからこの田舎大工の原始的な影人形のそれと似通った点がありそうに思われる。踊る影絵はそれ自身が目的ではなくて、それによって暗示される幻想の世界への案内者をつとめるのであろう。

それはとにかく、もし現代の活動映画が「影の散文か散文詩」であるとすれば、こういう影人形はたとえば「影の俳句」のようなものではあるまいか。

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