乱世
本文約15,600字 ・ 読了時間 約32分
あらすじ(AIが作成しました)
戊辰戦争の幕開けに動揺する桑名藩は、城を死守するか、関東へ下るか、あるいは恭順するかで激しく議論が割れる。藩主不在の中で藩士たちは混乱し、神籤で東下を決めるなど混迷を極める。やがて京畿での行動を問われた藩士たちは謹慎を命じられ、死への恐怖に晒される。その中で格之介は、周囲の冷笑をよそに、自身の首が晒される光景を幻視しながら、抗いがたい運命と死の恐怖に追い詰められていく。
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一
戊辰正月、鳥羽伏見の戦で、幕軍が敗れたという知らせが、初めて桑名藩に達したのは、今日限りで松飾りが取れようという、七日の午後であった。
同心の宇多熊太郎という男が、戦場から道を迷って、笠置を越え、伊賀街道を故郷へと馳せ帰って来たのである。
一藩は、愕然とした。愕然としながらも、みんな爪先立てて後の知らせを待っていた。
公用方の築麻市左衛門が帰って来たのは、十日の午前であった。彼は、本国への使者として浪花表で本隊と離れ、大和伊賀をさ迷った末、故郷へ辿りついたのである。従って、彼は敗戦についてもっと詳しい知らせを持っていた。慶喜公が、藩主越中守、会津侯、その他わずか数名の近侍のものと、夜中潜かに軍艦に投じて、逃るるように江戸に下ったこと、幕軍をはじめ、会桑二藩の所隊は、算を乱して紀州路に落ちて行ったこと、朝廷では討幕の軍を早くも発向せしめようとしていることなどが、彼によって伝えられた。
一藩は、色を失った。薩長の大軍が、錦の御旗を押し立てて今にも東海道を下って来るといったような風聞が、ひっきりなしに人心を動かした。
桑名は、東海道の要衝である。東征の軍にとっては、第一の目標であった。その上、元治元年の四月に、藩主越中守が京都所司代に任ぜられて以来、薩長二藩とは、互いに恨みを結び合っている。薩長の浪士たちを迫害している。ことに、長州とは蛤門の変以来、恨みがさらに深い。彼らは、桑名が朝敵になった今、錦旗を擁して、どんなひどい仕返しをするかもわからない。
藩中が、鼎のわくように沸騰するのも無理もなかった。藩主も留守であって、一藩の人心を統一する中心がない。その上、多くの家庭では、思慮分別のある屈強の人たちは、藩主に従うて上京している。紀州路へ落ちたという噂だけで、今はどこを漂浪っているかわからない。留守を守っている人々は、老人でなければ女子供である。そうした家庭では、狼狽してなすところを知らないのも当然である。
市左衛門が帰って来たその夜、城中の大広間で、一藩の態度を決するための大評定が開かれた。