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TORENDIA

碧蹄館の戦

本文約12,000字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

豊臣秀吉による明国出兵を背景に、日本軍が朝鮮半島へ侵攻する過程と現地の混乱を描く。文禄の役で小西行長や加藤清正が釜山へ上陸して京城を占領し、進軍を続ける中、朝鮮側の軍勢は敗走を重ねる。日本軍の兵糧が尽き退却が検討される中、小早川隆景と立花宗茂が殿を務め、碧蹄館にて明の大軍を相手に一戦を交えるまでを綴る。本書は当時の複数の史料や家記に基づき、戦況や軍議の様子、戦いの実態を詳述する歴史的な一編を収める。

菊池寛

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鶏林八道蹂躙之事

対馬の宗義智が、いやがる朝鮮の使者を無理に勧説して連れて来たのは天正十八年七月である。折柄秀吉は関東奥羽へ東征中で、聚楽の第に会見したのは十一月七日である。この使が帰国しての報告の中に、秀吉の容貌矮陋面色黒、眼光人を射るとある。朝鮮人が見ても、猿らしく見えたのである。又曰く、「宴後秀吉小児を抱いて出で我国の奏楽を聴く。小児衣上に遣尿す。秀吉笑って一女倭を呼びて小児を託し、其場に衣を更う。傍に人無きが如くである」この小児と云うのは東征中に淀君が生んだ鶴松の事である。まだほんの赤坊であるが、可愛い息子に外国の音楽を聴かせてやろうとの親心であったであろう。傍若無人はこうした応待の席ばかりでない。朝鮮への国書の中には、「一超直ちに明国へ入り、吾朝の風俗を四百余州に易え、帝都の政化を億万欺年に施すは方寸の中に在り」と書いて居る。朝鮮は宜しく先導の役目を尽すべしと云うのであった。

朝鮮の王朝では驚いて為す所を知らず、兎も角と云うので、明の政府へ日本来寇の報知を為したのである。秀吉朝鮮よりの返答を待つが来ない。

天正十九年八月二十三日、ついに天下に唐入即ち明国出兵を発表した。

兵器船舶の整備を急がせると共に、黒田長政、小西行長、加藤清正をして、肥前松浦郡名護屋に築城せしめ、更に松浦鎮信をして壱岐風本(今勝本)に築かしめた。

松浦郡は嘗つての神功皇后征韓の遺跡であり、湾内も水深く艦隊を碇泊せしめるに便利であったのである。秀吉は、信長在世中、中国征伐の大将を命ぜられたとき、私は中国などはいらない。日本が一統されたら、朝鮮大明を征服して、そこを頂きましょうと云っていた。

それは、大言壮語してしかも信長の猜疑を避ける秀吉らしい物云いであったのであるが、そんな事を云っている内に、だんだん自分でもその気になったのか、それとも青年時代からそんな大志があったのか、どちらか分らない。

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