本文へ移動
TORENDIA

湯ヶ原より

本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

湯ヶ原の温泉宿で働いていた少女お絹に惹かれていた主人公は、再会を期して東京から小田原へ向かう。移動中、偶然少女の姿を見かけるが、彼女は結婚を控えているという噂を耳にする。失意の中で湯ヶ原を訪れ、高熱で床に伏す中で、主人公は自らの内面で燃え上がる恋の力や、人生の神秘について思索を深めていく。旅先で味わった恋の苦悶と、その経験を通じて人間という存在の深淵を考察する書簡形式の物語である。

国木田独歩

速度
🎧 湯ヶ原より / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 7

内山君足下

何故そう急に飛び出したかとの君の質問は御尤である。僕は不幸にして之を君に白状してしまはなければならぬことに立到つた。然し或はこれが僕の幸であるかも知れない、たゞ僕の今の心は確かに不幸と感じて居るのである、これを幸であつたと知ることは今後のことであらう。しかし將來これを幸であつたと知る時と雖も、たしかに不幸であると感ずるに違いない。僕は知らないで宜い、唯だ感じたくないものだ。

『こゝに一人の少女あり。』小説は何時でもこんな風に初まるもので、批評家は戀の小説にも飽き/\したとの御注文、然し年若いお互の身に取つては、事の實際が矢張りこんな風に初るのだから致し方がない。僕は批評家の御注文に應ずべく神樣が僕及び人類を造つて呉れなかつたことを感謝する。

去十三日の夜、僕は獨り机に倚掛つてぼんやり考へて居た。十時を過ぎ家の者は寢てしまひ、外は雨がしと/\降つて居る。親も兄弟もない僕の身には、こんな晩は頗る感心しないので、おまけに下宿住、所謂る半夜燈前十年事、一時和雨到心頭といふ一件だから堪忍たものでない、まづ僕は泣きだしさうな顏をして凝然と洋燈の傘を見つめて居たと想像し給へ。

此時フと思ひ出したのはお絹のことである、お絹、お絹、君は未だ此名にはお知己でないだらう。君ばかりでない、僕の朋友の中、何人も未だ此名が如何に僕の心に深い、優しい、穩かな響を傳へるかの消息を知らないのである。『こゝに一人の少女あり、其名を絹といふ』と僕は小説批評家への面當に今一度特筆大書する。

国木田独歩の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本