僕の昔
本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
牛込の馬場下で生まれた夏目漱石は、名主の家系としての誇りや道楽者の兄たちに囲まれた幼少期を回顧する。やがて予備門で正岡子規らと交友を深め、のちに教師として松山や熊本へ赴任する。本作は、教師時代の体験が創作へ与えた影響や、落語に親しんだ少年時代の記憶を交えつつ、自身の生い立ちから英国留学を経て大学講師を務める現在に至るまでの歩みを綴る。
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根津の大観音に近く、金田夫人の家や二弦琴の師匠や車宿や、ないし落雲館中学などと、いずれも『吾輩は描である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥先生の居は、去年の暮れおしつまって西片町へ引き越された。君、こんどの僕の家は二階があるよと丸善の手代みたように群書堆裡に髭をひねりながら漱石子が話していられると、縁側でゴソゴソ音がする。見ていると三毛猫の大きなやつが障子の破れからぬうと首を突き出して、ニャンとこちらを向きながらないた。
あの猫はね、こっちへ引きこしてきてからも、もとの千駄木の家へおりおり帰って行くのだ。この間も道であいつが小便をたれているところをうまくとっつかまえて連れて戻った。やっぱしもとの家というものは恋しいものかなあ。――何、僕の故家かね、君、軽蔑しては困るよ。僕はこれでも江戸っ子だよ。しかしだいぶ江戸っ子でも幅のきかない山の手だ、牛込の馬場下で生まれたのだ。
父親は馬場下町の名主で小兵衛といった。別に何も商売はしていなかったのだ。何でもあの名主なんかいうものは庄屋と同じくゴタゴタして、収入などもかなりあったものとみえる。ちょうど、今、あの交番――喜久井町を降りてきた所に――の向かいに小倉屋という、それ高田馬場の敵討の堀部武庸かね、あの男が、あすこで酒を立ち飲みをしたとかいう桝を持ってる酒屋があるだろう。そこから坂のほうへ二三軒行くと古道具屋がある。そのたしか隣の裏をずっとはいると、玄関構えの朽ちつくした僕の故家があった。もう今は無くなったかもしれぬ。僕の家は武田信玄の苗裔だぜ。えらいだろう。ところが一つえらくないことがあるんだ。何でも何代目かの人が、君に裏切りとかをしたということだ。家の紋は井桁の中に菊の紋だ。今あのへんを喜久井町というのは、僕の父親がつけたので、家の紋から、菊井を喜久井とかえたのだそうな。こんなことはそうさなあ、明治の始めごろの話だぜ、名主というものがまだあった時分だろうな。