海浜一日
本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
水が出ない別荘で、糖尿病を抱え不機嫌な母、それをなだめる娘の佐和子と晴子、発動機修理に追われる老いた父の日常を描く。ある日、姉妹は父を誘い出し、買い出しへ向かう。帰り道の浜辺で一匹の犬が父を追うが、父は過剰に警戒し嫌悪を示す。離れて暮らす娘は、老いとともに他者や動物との交流を避けるよう変化した父の姿に、過ぎゆく歳月と孤独を重ね、得も言われぬ哀愁を感じる。
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発動機の工合がわるくて、台所へ水が出なくなった。父が、寝室へ入って老人らしい鳥打帽をかぶり、外へ出て行った。暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉辺まで来そうだ。光りを背に受けて、露台の籐椅子にくつろいだ装で母がいる。彼女は不機嫌であった。いつも来る毎に水がうまく出ないから腹を立てるのであった。
「――今度は私がその何とか云う男にじかに会ってみっちり言ってやる。いくら計算は計算でも水が出なけりゃ迷惑をするのは私達ばかりだ」
編物をしながら、上の娘の佐和子が、
「計算て何なの」
と訊いた。彼女は結婚して親たちとは別に暮していたから、この別荘に来たのもそれが二度目であった。
「いいえね、理論の上からではここの水は半馬力の発動機できっと上る筈だと云うんだよ。自分がそう主張して半馬力のを据えつけたんだから、どうしてもそれでやらなけりゃ面目が潰れるって云うんで、幾度も幾度もなおすんだがね――無理なのさ」
「――一馬力ならいいんだって、ね……」
長椅子の隅に丸まって少女雑誌を読んでいた晴子が、顔を擡げおかっぱの髪を頬から払いのけながら、意を迎えるように口を挾んだ。
「そうなのさ」
母は益々不機嫌に、
「だから始っから、父様さえちゃんとしてとりかえさせておしまいになればいいのに――もう二年だよ、来るたんびに水が出ない、水が出ないって」
母は糖尿病であった。それ故じき癇癪が起り、腹が減り、つまり神経が絶えず焦々している気の毒な五十三の年寄りであったけれども、彼女の良人は、健康でこそあれもう六十で、深く妻を愛している矢張り一人の老人だ。佐和子は、結婚生活をする娘の独特な心持で両親の生活を思い、
「まあそう癇癪をお起しなさらない方がいいわ」
となだめた。
「父様だってああやって一生懸命やっていらっしゃるんだから――この次までに一馬力のにさせとけばいいじゃあないの」