ズラかった信吉
本文約53,400字 ・ 読了時間 約107分
あらすじ(AIが作成しました)
モスクワ行きの三等列車に乗り合わせた信吉は、そこで働くロシア人労働者たちと交流を深める。故郷から遠く離れ、かつて日本の林業現場で厳しい労働環境を経験した彼は、社会主義建設が進むソ連の地で、独自の理念を持って生きる労働者や子供たちの姿を目の当たりにする。異国の地で現地の労働者と対話を重ねる中で、信吉は自身の生き方や社会のあり方について問い直し、新たな価値観に触れながら自らの進む道を模索していく姿を描く。
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一
東海道本線を三等寝台車が走るようになった。だがあれは、三段にもなっていて、狭く、窮屈で養鶏所の人工孵卵器みたいだ。
シベリア鉄道の三等は二段だ。広軌だから、通路をへだてたもう一方にも窓に沿って一人分の座席があって、全体たっぷりしてる。
信吉は、そういう三等列車の上の段で腹んばいになり、腕に顎をのっけて下の方を眺めていた。下では三人の労働者風なロシア人が、カルタをやっているところだ。肩のところにひどいカギ裂きの出来た海老茶色のルバーシカを着たの。鳥打帽をぞんざいに頭の後ろに引っかけたの。剛そうな灰色の髪の小鬢へどういうわけか一束若白髪を生やしたの。三人ともまるで仕事みたいに気を入れてやってる。海老茶色ルバーシカの男は、真面目くさった顔つきで、ときどき横っ腹を着ているものごと痒きながら、札をひろったり、捨てたりしている。
信吉は、丸まっちい鼻へ薄すり膏汗をにじませたまま、暫く勝負を見ていたが、
「あーァ」
起きあがって、伸びをした。
「そろそろ飯か……」
この三人は、きまって飯時分になるとカルタをやる。そして、互に負けを出し合い、停車場へ着くと物を買いこんで来て飯にするんだ。
ところでここは、モスクワ行三等列車の棚の中だ。どっちを向いて何と云ったところが、信吉の独言をわかってくれるような者はありっこない。
信吉はズボンのポケットから蟇口を出した。蟇口は打紐でバンドにくくりつけてある。下唇を突き出し、鼻の穴をふくらがして銭を算えた。モスクワまで、まだあと五日か、チェッ!
一枚の紙を、信吉は胡坐をかいている膝の上へのばした。果しないシベリアを夜昼鋼鉄の長い列車は西へ! 西へ! 砂塵を巻いて突っ走る。信吉は棚の上で日に一度はきっとこの紙を出しかけた。所在なかったり、寂しくなったりすると読む。
手紙だ。甥の卯太郎がよこした手紙だ。