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TORENDIA

文学に関する感想

本文約8,600字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

林房雄の長編小説「青年」をめぐり、本作がブルジョア陣営から称賛される一方、プロレタリア文学の観点からは階級性の欠如や歴史的認識の不十分さが指摘される状況を論じる。同時に、亀井勝一郎による関連論文を通じて、プロレタリア・ルネッサンスといった概念の危うさや、作家が直面する政治的課題、獄中での読書制限という現実に触れ、革命的作家がとるべき階級的な立場と真のボルシェビキ的作品の創造について考察する。

宮本百合子

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林房雄が『中央公論』に連載している長篇小説「青年」は、近頃発表されたプロレタリア作家の作品の中でもっとも多くの論議を引き起したものの一つである。「青年」第一部が発表された当初から、ブルジョア作家、批評家たちは、これこそ読むにたえるプロレタリア文学の出現であるという風な批評を加えた。ある一部のブルジョア・ジャーナリストは「青年」を称讚し、さすがは林房雄である。構想雄大で行文はいわゆるプロレタリア的でない清新の美に満ちていると、さながらその社会的根拠とともに創造性をも喪失したブルジョア文学の陣営内に一人の精力的な味方を発見し得たかのような喝采を送った。

わがプロレタリア作家同盟および文学に関心をもつ革命的大衆の「青年」に対する感想は、本質においてはそれらのブルジョア批評と明らかに対立する種類のものであった。林が長い獄中生活の後、直ちに野心的な大作に着手した意気に対して敬意を表すと同時に「青年」が一九三二年の封建的軍事的絶対主義日本における階級闘争が帝国主義戦争によって一層切迫した現段階において、特に近づきつつある人民革命の歴史的意義を規定する明治維新から取材し現実の闘争のもっとも必要なモメントとして描かるべき歴史小説としては、方法論的に不充分であり、階級性が稀薄であるという結論に概括される。

「青年」に対して、林はブルジョア文学、ジャーナリズム陣営からは褒められ、称讚され、プロレタリアの陣営からは疑問と批判とをもって迎えられた。砕いていえばあっちではいいといわれ、こっちでは悪いといわれたのである。けだし、あっちでいいといわれた理由が、「青年」のたくましい革命的迫力によって敵ながらあっぱれなものであると現代日本のブルジョア反動文学者群の世界観を局部的にでも撃破克服した点にあるのではなく、逆にプロレタリア文学の中からでもこれくらい俺らの口にかなう作品も出るのだと、彼らに卑小な自己満足を味わせた点に根拠している以上、そのような称讚は林にとってまさに屈辱であらねばならぬ。

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