落ちたままのネジ
本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
深田久彌の「強者連盟」や石坂洋次郎の「麦死なず」といった当時の小説を通じ、流行の思想運動や左翼文学に対する作家たちの反応を論じる。自身の確立を求める個性が社会潮流に反発する心理や、その根底にある日本独自の歴史的事情を分析する。また、プロレタリア文学の敗北の本質が人間的な欠陥ではなく、自身の敗北を歴史的要因として突き詰め、連帯的な現実を芸術として描く努力の欠如にあることを説く評論である。
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一
十月号の『文芸』に発表されている深田久彌氏の小説「強者連盟」には、様々の人物が輪舞的に登場しているが、なかに、高等学校の生徒で梅雄と云う青年が描かれている。
この小説で、作者はおそらく作品の小さくて破綻のない気分の磨き上げなどというところを目ざさず、大きくダイナミックに動いて作品として勇気のある不統一ならばそれが生じることを敢ておそれぬ心がまえであったのだろう。描こうとする現実と平行に走っているような筆致と、現実に真直うちあたって行って描写している部分とが二様にまじりあってこの作品の中に際だっている。松下夫妻の故郷で行われる祝典のいきさつ、それに加わる松下夫婦の生活を語っている部分などは、作者が対象と平行して走り、或は歩きつつその光景を読者に話しているやり方であり、この作品の中で芸術的には弱い部分をなしている。
ところが、梅雄について描く場合、作者は対象に面と向って、或は対象の内部へまでくぐり入って描き出しており、本屋での場面のような鋭い情景として内容のこもった立体性を捕えている。私は、この作で作者が自身のスタイルを試しているようなのが面白かった。流行の説話体というものは、或る独特な作家的稟質にとってだけ、真にそのひとの云おうとすることを云わしめるもので、多くの他の気質の作家にとっては、必要でもない身のくねりや、言葉の誇張された抑揚や聴きてを退屈させない芸当やらを教え込むもので、意味をなさぬ。深田氏は、くねくね式説話には向かぬ天質の人に生れているのではなかろうか。やっぱり正面から当るたちではなかろうか。深田氏はこの作を書き終ることで、その点をどう考え、作家としての自己をどう発見しておられるか。私はそれらのことを、考えるのである。
ところで、作中の梅雄が学生運動の最も盛んであった時期に経験した内的成長の過程を語る部分に、次のようなところがある。