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TORENDIA

脈々として

本文約940字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

ロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」は、度重なる戦争の障害を乗り越え、その完結が待たれる古典的な記念碑である。第一次大戦前後の歴史的摩擦の中で生きる人々を追った本作に対し、戦後を生きる日本の読者が抱く理性や心情との対比を考察する。また、著者と読者が反ファシズムの旗のもとで第二次大戦のナチ侵略に抵抗した事実を踏まえ、フランスの民主精神と現代の文学が果たす役割について論じる。

宮本百合子

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🎧 脈々として / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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ロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」十一巻は、いまこそ、日本の読者のために、その翻訳を完結されなければならない。第七巻まで翻訳出版されたのが一九四〇年八月。兇悪な戦争が、訳者山内義雄氏と出版社白水社の仕事を阻んだ。六年を経て、一九四六年十一月に第八巻「一九一四年夏」第一部が出版されて、更にきょうまで三年の月日が沈黙にすごされている。「チボー家の人々」の日本語版がめぐりあったこれらの障害は、一つとして国際的な風波の反映でなかったものはなかった。

新しいエポークが世界と文学にひらけかけているこんにち、一九二〇年―三七年の間に書かれた「チボー家の人々」は、ロマン・ロランの「魅せられた魂」とともに一つの古典的な記念碑となった。フランス中流の、誠実で人間らしい人々は、第一次大戦前後の劇しい歴史の摩擦相剋のうちに、どのように生き、破滅し、成長して行ったのだろうか。ジャックという名は、きょうのわたしたちを深くひきつける。日本資本主義独得のひねくれ、欺瞞と粗野、卑屈のジャングルをかきわけて、明るい世界の心をわけもたずには自分を生存しているものとして感じられなくなっているきょうの日本の真面目な人々の理性と心情に、「一九一四年夏」を生きたジャックは何を語るだろう。ヨーロッパの精神史にとっての一九一四年は、時間的には1/4世紀以上おくれて、しかし、社会と個人の歴史が飛躍するための要因としては、ジャックの所有したものと比較にならない複雑ゆたかな条件をそなえて、きょうのわたしたちの前にある。

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