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TORENDIA

五月のことば

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

一九四九年の日本社会を知識人の敗北と総括した福田恆存の言説に対し、平和を守る会や民主主義擁護同盟の活動など、当時の現実を背景に批判的考察を綴る。あわせて商業ジャーナリズムによる商品文学の氾濫を小説病と評し、巨大資本による思想的挑発と戦う文学者の理性を擁護する。アジアと世界の中で価値を問われ始めた現代文学が、歴史的な試練に立ち向かい、自らの進むべき道を探究する姿勢を論じる批評である。

宮本百合子

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去年の暮、福田恆存は、一九四九年を通観して、「知識人の敗北」の年と概括をした。これは、評論家としての氏にとって、きわめて意味のふかい一つの刻みめを印した発言となった。なぜならば、一九四九年の日本の現実は、混乱しながらもそこを縫って、本質的には氏の概括とは反対の性格をもつ流れがつよく自覚されはじめた年であったのだから。

福田恆存にとっては、中国の人民が革命に勝利したこともどこまでがほんとかわからないこと(群像十二号)であったし、日本の国内で、日本の学者たち二十七名が非日委員会に反対の声明を行い、ひきつづき広汎な層をふくむ学者、有識人の全国的な「平和を守る会」を組織した画期的な事実も無視されている。加盟団体あわせて一千万人の組織員をもつ民主主義擁護同盟は、組織の大きさだけの活力を発揮しにくい事情におかれていたが、それでも各地におこっている人権蹂躙の問題に具体的に働いた。

同氏が、「平和を守る会」に参加しないことや「知識人の会」に関係をもたないでいたことは、もとより氏の自由である。けれども、川端康成が三月号の『文学界』に発表している「天授の子」をよめば、現代の文学者が、その理性と人間的な感覚とを日本人の運命とその文学の運命とについて、どのように働かせはじめているかということは明瞭である。世界平和のために戦争挑発とたたかい、戦争に誘いそれを暗示する思想と言論のカナライゼーションに抗してわれわれ自身を恥辱から救おうとする決意と行動は、こんにち、フランスの抵抗(レジスタンス)をまねる範囲をぬけている。一九五〇年は、日本の理性が試練される年である。このきびしくて人間らしい美しい事実はすでにわれわれの前にあらわれている。

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