きのうときょう
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あらすじ(AIが作成しました)
自由学園の音楽教育発表会に触れ、かつての生活における音楽との関わりや、幼少期の家庭環境を綴る。明治末期、母が歌う唱歌や父がロンドンから持ち帰った蓄音機の思い出、ピアノ教師・久野久子との出会いを通じ、自身の音楽経験を回想する。さらに当時の社会における女性と音楽の置かれた非人間的な制約を論じ、現代の教育現場で行われる集団的な音楽演奏がもたらす感性への影響について、一人の聴衆として批評的な視点から考察を深めていく。
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この間日比谷の公会堂であった自由学園の音楽教育成績発表会へ行って、それについての様々な感想につれて、自分たちが小さかった頃の生活のうちに、音楽がもたらしたあれこれの情景をなつかしく思いおこした。
もうふた昔三昔のことで、私が五つぐらいと云えば明治三十年代の終りから四十年代のはじめにかけての時期になるが、その時分うちに一台のベビイ・オルガンがあった。五つをかしらに三人の子供たちをそのぐるりにあつめながら、バラの花簪などを髪にさした母のうたった唱歌は「青葉しげれる桜井の」だの「ウラルの彼方風あれて」だのであった。当時、父は洋行中の留守の家で、若かった母は情熱的な声でそれらの唱歌を高くうたった。母自身は娘時代、生田流の琴と観世の謡とをやって育ったのであった。
九つになった秋、父がロンドンからかえって来た。その頃のロンドンの中流家庭のありようと日本のそれとの相異はどれほど劇しかったことだろう。父は総領娘のために子供用のヴァイオリンと大人用のヴァイオリンを買って来た。ハンドレッド・ベスト・ホームソングスというような厚い四角い譜ももって来た。ニッケルの大きい朝顔のラッパがついた蓄音器も木箱から出て来た。柿の白い花が雨の中に浮いていたことを覚えているから、多分その翌年の初夏ごろのことであったろう。父は裏庭に向った下見窓の板じきのところに蓄音器をおいて、よくひとりでそれをかけては聴いていた。そういうとき、何故か母はその傍にいず、凝っと音楽をきいている父の後姿には、小さい娘の心を誘ってそーっとその側へ座らせるものをもっていた。四十を出たばかりであった父は、黙って娘の手をとって自分の手のなかへ握り、そのまま膝において猶暫く聴いていて、レコードをとりかえたりするとき「どうだい、面白いかい?」ときいたりするのであった。