キュリー夫人
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
第一次世界大戦の開戦に伴い、パリのラジウム研究所で研究に励むキュリー夫人は、侵略の危機から貴重なラジウムを守り抜くため奔走する。戦火の中で科学者としての知識と独創性を発揮した彼女は、野戦病院での治療を支援する移動式X線装置を開発し、負傷者の救命に尽力する。本書は、困難な状況下で科学の力を平和と創造のために捧げた一人の女性科学者の生涯と、愛する故郷ポーランドの解放に向けた熱い信念を綴る。
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一九一四年の夏は、ピエール・キュリー街にラジウム研究所キュリー館ができ上ってキュリー夫人はそこの最後の仕上げの用事と、ソルボンヌ大学の学年末の用事とで、なかなか忙がしかった。フランスの北のブルターニュに夏休みのための質素な別荘が借りてあったが、彼女はパリが離れられなくて、まず二人の娘イレーヌとエーヴとを一足先へそちらへやった。お母さんであるキュリー夫人は八月の三日になったならばそこで娘たちと落合って、多忙な一年の僅かな休みを楽しむ予定であった。
ところが思いがけないことが起った。七月二十八日に、オーストリアの皇太子がサラエヴォで暗殺された。世界市場の争奪のため、危機にあった欧州の空気はその硝煙の匂いと一緒に、急速に動揺しはじめた。キュリー夫人は土用真盛りの、がらんとしたアパートの部屋でブルターニュの娘たちへ手紙を書いた。
「愛するイレーヌ。愛するエーヴ。事態がますます悪化しそうです。私たちは今か今かと動員令を待ち受けています。」
しかし戦争にならなければそちらへ行けるでしょうと約束した月曜には、独軍が宣戦の布告もせずに武力に訴えながらベルギーを通過してフランスに侵入した。
パリの母は再び娘たちに書いた。
「お互いにしばらくは、通信もできないかも知れません。パリは平静です。出征する人たちの悲しみは見られますが、一般に好ましい印象を与えています。」
彼女は落着いた文章のうちに情熱をこめて、小国ながら勇敢なベルギーは容易にドイツ軍の通過を許さないだろうとフランス人はみな希望を持ち、苦戦は覚悟の上だけれどきっとうまくゆくだろうと信じていること、そして「ポーランドはドイツ軍に占領されました。彼らが通過した後には何が残るでしょう。伯母さんたちの消息も全く不明です」と伝えている。