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TORENDIA

帝展を観ての感想

本文約3,000字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

帝展に出品された日本画と洋画の観覧を通じ、日本の芸術が置かれた現状と社会的な背景を論じる。日本画においては、経済的な行き詰まりや生活感情の反映から、作品が工芸品的な表現に陥り、画家たちの抱える矛盾と苦悩が示されていることを指摘する。一方、洋画部門では、個々の作品が持つ諷刺性や必然性を考察し、女性画家たちの作品に見られる生活の平俗さと安易さが才能に与える影響について言及する。

宮本百合子

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数年の間、私はいろいろのことから帝展というものを観ないで過して来た。今年久しぶりにほんの通りすぎる程度ではあったがそれぞれ数百点の日本画、洋画を見物し、素人らしい感想にみたされた。

私が記憶していた頃の帝展では、日本画というと大作ぞろいで、一室の壁半分を一枚で占めるような大きい画が多かった。秀作も駄作も大きさで先ず観衆を瞠目せしめる風であった。今年は、それがいずれも余り大きい作品がなくなって来ている。大家連が筆頭で小品風なものを、小品風な筆致で描いて、その範囲での貫録を示すかのように新進の画家たちとは別にまとめて一室に飾られてある。

私は絵として心を打たれるものを見出すことは出来なかったが、その絵の大小によって云わず語らずのうちに示された日本の大画家連の製作をも左右している世間の不景気の反映に興味を感じた。

画商との微妙な連関で自分の画の市価というものが定り、その相場が上ることで画家としての価値をきめられている清方、栖鳳、麥僊その他の日本画大家連は、この頃の経済的ゆきづまりで彼等の高価な絵を買う人が減っても絵の価を下げられず、従ってその標準ではける可能のある小さい作品にうつるところ、社会関係がなかなか活々と作用を及ぼしていると思ったのであった。

大体から云って、今日の生活感情を表現するものとして日本画が材料の上からも非常な困難に面していることがまざまざと感じられた。大家連が依然として芸者、舞妓、花、蛙などにとじこもっているに対し、題材として新しい方向を求め、例えば発電所・橋・市街鳥瞰図風の素材を扱った新人もあるが、結局それ等の題材は風景として理解されているに止っているし、日本画としての技術上からも、それ等の現実性を再現するだけ立体的には描けていない。

題材は何であろうと、今年の帝展の日本画の大部分は、私に、日本画が今では一つの工芸品的なものに変っていることをつよく印象づけた。

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