茶色っぽい町
本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
目白台に移り住んだ著者が、神楽坂へ散策に出かける様子を綴る随筆。夜の町を歩きながら、かつて見た水芸や外国人の楽器演奏の記憶、そして牛込という土地全体に漂う「茶色っぽい」独自の雰囲気を描く。ある夜、鮮やかな衣装を纏いながらあてどなく歩く一人の若い女を目撃した著者は、続いて立ち寄った活動写真館で、再びその女の姿を見出す。明るい繁華街にありながら、どこか空虚で薄暗い町の空気と、そこに交錯する人々の断片的な姿を叙情的に映し出す。
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小石川――目白台へ住むようになってから、自然近いので山伏町、神楽坂などへ夜散歩に出かけることが多くなった。元、椿山荘のあった前の通りをずっと、講釈場裏の坂へおり、江戸川橋を彼方に渡って山伏町の通りに出る。そして近頃、その通りのつき当りに、何という医者だったか屋根の上へ、大万燈のように仰山な電飾(イルミネーション)広告をつけたのを遙か中空に見上げながら、だらだら坂をのぼって左、神楽坂へ行く。時には、神田辺へ行った帰り、廻って逆に音羽通を戻って来ることなどもある。――本郷辺にいると神楽坂は全く縁遠い場所だ。どうせ電車にのって下町に出る位なら、賑かな人通りをぶらつこうと云う位なら、銀座まで一息にのす。歩く道なら大学赤門前から三丁目がある。電車のルートの工合で、動き廻る道筋を制御される我々は、東京の他の沢山の隅々を、何か特別なきっかけのない限り外国に在る街同然知らないで過ごす通り、牛込、神楽坂などに縁遠かった。
けれども、思い出して見ると、神楽坂は、さすがに去年までまるで歩いたことがないでもなかった。ずっとずっと前、いくつ位だろう、十一二になっていた頃か、飯田町に引越した叔父につれられ、まだ七つばかりの従弟と夜散歩したことがあった。淋しい牛込駅の傍の坂を下って、俄に明るく、ぞろぞろひどい人波が急ぎも止まりも仕ないで急な坂を登り降りしているのにびっくりした覚えがある。今は活動写真館になっている牛込館がまだ寄席であったらしい。そこに入った。高座の上で支那人が水芸をするのを見物した。小学校の記念日に大神楽がきっと来た時代だ。支那人のする水芸そのものは、黒紋付に袴の股立ちをとった大神楽のやることと大して違いはないのだが、その支那人は、(水色の、踝でしっかり結えた股引に、黒い靴を穿いていた。)派手な三味線に合わせ、いざ芸当にとりかかる時、いかにも支那的音声で、
ハオ!
とか何とか掛声をかけると同時に一二歩進み、ひょいと右か左、どっちかの足を曲げて、パン! と靴裏でもう片方の脚の腓辺を叩く。靴が軟かいし、永年の修練で、
ハオ! パン!