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TORENDIA

あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)

本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

一九二四年から三年間執筆された長篇小説『伸子』を振り返り、その創作の経緯と当時の日本文学の状況を綴る。結婚生活の現実に直面し、中流的環境から再度の脱出を試みる若い女性の姿を通じて、家庭の平和や夫婦愛という通念に疑問を投げかける。本書は、当時のプロレタリア文学運動や新感覚派の動向とも異なる独自の視点から、四半世紀を経てなお解決されない日本の社会的な課題と、現代の読者が抱く共感を論じる。

宮本百合子

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🎧 あとがき(『宮本百合子選集』第六巻) / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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「伸子」は一九二四年より一九二六年の間に執筆され、六七十枚から百枚ぐらいずつに章をくぎって、それぞれの題のもとに二三ヵ月おきに雑誌『改造』に発表された。たとえば、第一の部分「揺れる樹々」につづいて「聴きわけられぬ跫音」そのほか「崖の上」「白霧」「蘇芳の花」「苔」などという小題をもって。

当時日本にはもう初期の無産階級運動が盛であったし、無産階級の芸術運動もおこっていた。解放運動の全線にわたって、アナーキズムとコンムニズムとの区別が明確にされていない時代であった。プロレタリアートが、歴史の推進力となる階級であることは主張されていたが、進歩的な小市民・インテリゲンツィアが革命の道ゆきにどのような位置と使命とをもっているかということについて、まだ科学的な判断が生活と文学との具体的なありかたではっきりさせられていない時期であった。無産者芸術運動、その文学の分野では、自然発生的に宮嶋資夫、葉山嘉樹、前田河広一郎、江口渙その他の無産階級出身の小説家の作品が登場し、芸術理論の面では、平林初之輔、青野季吉、蔵原惟人等によってブルジョア文芸批評の主観的な印象批評に対して、文学作品のより客観的科学的な批評の必要が提唱されていた時代であった。また文学作品の評価のよりどころとしての社会性の課題がとりあげられ「調べた作品」の要望もおこっていた。当時、無産派の文学としてあらわれていた作品は、どれもそれぞれの作者の生活より自然発生的にその貧につき、社会悪と資本家への憎悪などが描かれたもので、つきつめてみればそれがこれまでのような富裕な階級に生きる文士の身辺小説でないという違いをもっただけのものが多かった。その「印象のつづり合わせ」や「単なる興奮と感傷」に満足しないで、労働階級は生産機関を握り、社会の運転を担当している階級なのだから、ブルジョア文学者のうかがい知ることの出来ない生産と労働と搾取との世界を解剖し、描写すべきであると主張された。

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