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TORENDIA

写生紀行

本文約14,900字 ・ 読了時間 約30分

あらすじ(AIが作成しました)

病後の療養を兼ね、著者が油絵の写生のために戸外へ出る様子を綴る。これまで庭の風景を題材にしていた著者は、小春日和の誘惑に駆られ、大宮や成増といった郊外へ足を運び、そこで出会う景色や人々の営みを画布に収めようと試みる。旅先で見出す自然の色彩の輝きや、農村の風景、あるいは旅路で直面する些細な出来事を通して、制作の喜びや自然に対する思索が淡々と語られる。寒さの訪れとともに、再び室内での静物画制作へ戻るまでの写生行を描く。

寺田寅彦

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去年の春から油畫の稽古を始めた。冬初め頃迄に小さなスケッチ板へ二三十枚、六號乃至八號の畫布へ數枚を描いた。寒い間は休んで今年若葉の出る頃から此の秋迄に十五六枚か、事によると二十枚程の畫布を塗り潰した。此等のものゝ大部分はみんなうちの庭や建物の一部を寫生したものである。

靜物も描かない譯ではなかつた。併し花を活けて寫生しようと思ふとすぐに萎れたり、又此れに反して勢のいゝのは日毎の變化が餘りにはげしくて未熟なものゝ手に合はなかつた。壺や林檎も面白くない事はないが、折角「生きた自然」の草木が美しく、其れに戸外が寒くなくて好い時候に、室内の「死んだ自然」と首引をするのも勿體ないやうな氣がした。靜物乃至自畫像などは寒い時の爲に保留するといふやうな氣もあつて、暖い内はなるべく題材を戸外に求める事に自然となつてしまつた。尤も戸外と云つても唯庭をあちらから見たり此方から見たり、或は二階か近所の屋根や樹の梢を見た處など、もしこれが本當の畫家ならば始めからてんで相手にしないやうなものを、無理に拾ひ出し、切り取つては畫布に塗り込むのであつた。それだから、どの繪にもどの繪にも同じ四つ目垣の何處かの部分が顏を出して居たり、同じ屋根が何處かに出つ張つたりして居る事になるのは免れ難い。

其れでも私に取つては矢張面白くない事はなかつた。例へば四つ目垣でも屋根でも芙蓉でも鷄頭でも、未だ嘗て此れで稍滿足だと思ふやうに描けた事は一度もないのだから、いくら描いてもそれはいつでも新しく、いつでもちがつた垣根や草木である。恐らく一生描いて居ても此等の「物」に飽きるやうな事はあるまいと思ふ。描く事には時々飽きはしても。

展覽會などで本職の畫家の描いた繪を見ると、美しい草木や景色や建築物やが惜氣もなく材料に使はれて居る。今の自分から見ると此等の畫家は實に羨ましい有福な身分だと思ふ。世の中に何が贅澤だと云つて、此のやうな美しく貴重な自然を勝手自在に我物同樣に使用し時には濫費してもいゝと云ふ、此れ程の贅澤は少ないと思ふ。此れに匹敵する贅澤は恐らく唯讀書位のものかも知れない。

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