本文へ移動
TORENDIA

比較言語学における統計的研究法の可能性について

本文約16,200字 ・ 読了時間 約33分

あらすじ(AIが作成しました)

言語の不思議に強い好奇心を抱く著者が、言語の比較における統計的研究法の可能性を考察する。地名や楽器の名称などの語彙比較で見られる類似性が、偶然の暗合か否かを判別することは難しい。著者は、人類の拡散過程をアルコールの拡散になぞらえ、言語の語彙や文法の比較に統計的な手法を導入することで、言語間の因果関係や系統を科学的に検証する道筋を探る。専門外の私案として、言語学者と科学者の協力による共同研究の展望を綴る。

寺田寅彦

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 22

言語の不思議は早くから自分の頭の中にかなり根深い疑問の種を植え付けていたもののようである。六七歳のころ、始めて従兄から英語の手ほどきを教えられた時に、最初に出会ったセンテンスは、たしか「猿が手を持つ」というのであった。その時、まず冠詞というものの「存在理由」がはなはだしく不可解なものに思われた。The(当時かなで書くとおりにジーと発音していた)が、至るところ文章の始めごとに繰り返されて出現する事が奇妙に強い印象を与えた事を記憶する。自分の手のことを「持つ」というのもおかしかったが、これが「手を」の前に来る事がはなはだしく不思議であった。

今になって考えてみると、このジー、ジーという音の繰り返しは、当時の幼い頭の中に、まだ夢にも知らなかった、遠い遠い所にある、一つの別な珍しい世界からのかすかなおとずれのように響いたのかもしれない。それはとにかく、当時に感じた漠然たる不思議の感じは、年を経て外国語に対する知識の増すとともに、次第に増しはしても、決して減りはしなかった。ただそれが次第に具体的な疑問の形をとって意識されて来たのである。しかし四十余年前に漠然と感ぜられた疑問は今日に至っても依然たる不可解の疑問である。そして少しばかり言語に関する学者の所説などを読んでみても、なかなか簡単にこの疑問の答解は得られそうもないように思われた。

英語やドイツ語とだんだんに教わるうちに、しばしば日本語とよく似た音をもった同義の語に出会う事がある。これは偶然であろうとは思っても、そのことごとくが偶然の暗合であるという事を証明する事もかなりにむつかしそうに思われた。

寺田寅彦の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本