獄中への手紙
本文約112,100字 ・ 読了時間 約225分
あらすじ(AIが作成しました)
獄中にいる顕治宛に綴られた本作は、生活の統一を図るための引越しや、新たな住まいでの執筆活動、執筆する小説への抱負を伝える。日々の出来事や家族・知人との交流、社会情勢への所感、芸術に対する洞察などを細やかに記す。自らの仕事を報告しつつ、相手の健康を気遣う文面を通し、困難な時代の中でも作家として生活と芸術に向き合い、日常を維持しようとする著者の誠実な姿勢を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一月八日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
一月八日 第二十六信
晴れ。五十一度。緑郎のピアノの音頻り。
今年の正月は去年とくらべて大変寒さがゆるんで居りますね。そちらいかがですか。お体の工合はずっと順調ですか。畳の上で体が休まるということを伺って、きわめて具体的にいろいろ理解いたしました。何でも、世界を珍しい暖流が一廻りしたそうで、大変あったかい。それで却って健康にわるく、世界に一種の悪質の風邪が流行している由、称して、ヒットラー風。
私は、今年の正月は余り自動車にものれず、餅もたべられず、おとなしい正月をいたしました。盲腸の方も大体障害なく、きのう野上さん[自注1]のところへ行ったら苡仁(何とよむのか忘れてしまった、田舎にも生える数珠子玉という草の支那産のものの由)という薬を教わって来ました。彌生子さんの盲腸もそれでなおした由。二月の『文芸』に横光の「厨房日記評」を二十枚ほどかき『文芸春秋』の文芸評を今準備中です。文芸懇話会賞の室生犀星は「雑沓」などは題材的に歯に合わず活字面を見ただけでうんざりの由です。横光、小林秀雄、犀星等、芸術上の高邁イストが、現実において一九三七年度には急速に自分達のポーズと反対のものに落下しつつあるところ。日本文学の上に一つの新しい歴史の生れたことを、感じ、興味津々です。一月中旬に白揚社から本が出るのだが、まだ題名がきまらず。何かいいのはないかと考え中です。生活的でうるおいがあって、音楽的色彩的であるようなの。