本文へ移動
TORENDIA

南さんの恋人

本文約17,500字 ・ 読了時間 約36分

あらすじ(AIが作成しました)

妻を亡くした南は、義理の伯母である山根との奇妙な生活の中で深い憂鬱に沈み、酒に溺れる日々を送る。ある朝、見知らぬホテルの部屋で目覚めた南は、自身の内面から囁きかける謎の声に導かれ、かつての自分や周囲との関係に思いを巡らせる。登美子という女性の影や、山根との歪な関わりに葛藤する中で、南は正体不明の恋人の存在を口にし、現実と幻想の狭間で揺れ動く自身の心情と向かい合っていく。

豊島与志雄

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 22

一

少しいたずら過ぎたかな? だが、まあいいや。

その朝、室の有様は、おれの気に入った。

窓に引かれてる白いカーテンを通して、曇り日らしい薄明りが空の中に湛え、テーブルの上のスタンドの電燈が、いやにぼんやりしていた。殆んど何の装飾もない白いだだ広い室……。窓寄りのベットに、南さんが、顔まで毛布をかぶり、長髪を枕の上に乱して、死人のように眠っていた。テーブルのスタンドのわきには、帽子、カラー、ネクタイ、紙入、時計、大きな木札のついた鍵……。中央の円卓には、ビール瓶が二本、一本はからで、一本は栓もぬいてなく、コップ二つ、リキュールのグラスが二つ。それから扉寄りに、も一つベットがあって、寝具は少しも乱されてないが、その上に、南さんの服装が、外套からシャツや腹巻まですっかり、とりちらされていた。腹立ちまぎれに自分で脱ぎすてたものか、或は、急病の手当に誰かが脱がして投げ出したものか、そういった有様で、片隅の衣裳戸棚はまるで忘れられていた。それから、南さんの服装のわきに、ベットの裾の方に、くしゃくしゃなタオルの寝間着が一枚、無雑作に放りだしてあった。それが全体の有様から見て、つまりこの室は、宿泊されたのではなく、寝られたに過ぎないのだ。

十一時頃、南さんが突然起きあがった。ベットがゆらりと動いた。身体に不馴れなその動揺とシーツの感触とで、南さんは初めて正気に返ったらしく、室の中を見廻した。血のけのうすい膨れた顔をしている。暫くして、彼はのこのこベットからおりてきた。寝間着の前がはだけてるのに気がついて、紐をむすんだ。しきりに頭をかしげながら、室の中を一通り見調べた。それから窓のカーテンをかかげて、外を眺めた。

果して、曇り日のどんよりとした昼だった。すかし見ると、ばかに高い……。あちこちに、高層建築の頂が聳えていて、その間を垂直にえぐり取った深い深い谷底に、軌道が見える。電車が通る。自動車や自転車……豆粒のような人間……。冷々とした空気が、悪気流が、宙に迷っていた。

豊島与志雄の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本