ナポレオンの遺書
本文約760字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
セント・ヘレナの島で臨終を控えたナポレオンが、自ら口述した手記を遺書で否認する行為について論じる。自身の生涯を支配した規範が含まれていないと断言するその姿勢に、彼特有の悲痛や滑稽さを読み解く。また、人生を囚虜の生活に見立て、過去の事業や著作を死の間際に否認するという行為が持つ意味を考察する。表現を追求する文学者の心情と重ね合わせつつ、自らの生と表現に対する根源的な問いを提示するエッセイである。
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ナポレオンの遺書――セント・ヘレナの島で、臨終より三週間ほど前に、彼が自ら口述し浄書したもので、現に文書保存局に原文が残っている――その遺書の中に、次のような一カ条がある。
予は、セント・ヘレナの手記、及び、最近六年間に刊行されたる、格言或は箴言と題せる著述を、否認するものなり。予の生涯を支配せし規範は、その中に存せず。
然るに、格言或は箴言と題せる著述は兎に角、セント・ヘレナの手記こそは、彼が五年間の流竄の生活中、往時の戦役を追想しながら自ら口述したもので、多くの血と熱とが注ぎこまれていた筈である。それを彼は遺書の中で、一言にして否認し去った。
「キリストはもし十字架上に死ななかったならば神とならなかったであろう。」――「予は全世界より愛せられまた憎まれた。」――というようなことを好んで口にしたナポレオンにとっては、セント・ヘレナの手記は彼の生涯を支配した規範を毫も含んでいないものだったかも知れない。
然し、セント・ヘレナの手記を遺書で否認するところに、彼の痛切な――或は滑稽な――悲痛があった。
唯物論的見地よりすれば、比喩的に云って、人の生活はみな多少とも、セント・ヘレナに於ける囚虜の生活である。そして臨終の間際になって、こういう遺書を書いたとすればどうだろう。――某々の事業……某々の事蹟……某々の著述、それを凡て予は否認するものなり。予の生涯を支配せし規範は、その中に存せず。
書くことは問題でないが、書く気持、それを前以て活動期にある自己にあてはめて考えてみると面白い。痛烈でもあれば滑稽でもある。殊に、表現を事とする文学者にとっては、それは痛烈や滑稽以上である。而も、遺書にそんなことを書きたい者は、文学者に一番多いだろう。
ふざけちゃあいけない。――と云うのは、或はその生活に対して、或はその遺書に対して。
完