白藤
本文約7,800字 ・ 読了時間 約16分
あらすじ(AIが作成しました)
終戦後に復員し、大きく変貌した東京の風景に戸惑う草光保治。彼は帰途の車中で目にした白藤の情景から、かつて親しく交流し病で亡くなった細川美代子の面影を鮮明に思い出す。美代子の自宅の焼け跡を訪れた保治は、かつて彼女と二人で咲かせようと約束した白藤の蔓が荒れ果てているのを目にする。それらを引き抜き打ち捨てることで、過去の情緒的な繋がりと自身の惨めな心情に区切りをつけ、新たな眼差しでこれからの生き方を選択しようと歩み出す。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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草光保治は、戦時中に動員されて外地へ渡り、終戦後復員されて、二ヶ年半ぶりに[#「二ヶ年半ぶりに」は底本では「二ヶ月半ぶりに」]東京へ戻ってきました。
「東京もずいぶん変ったでしょう。」
戦争の話やその他の話の末、周囲の者がきまって彼に向ける言葉は、それでした。東京もというのは、日本も、時勢も、人々も、その他いろいろなものを含めてのことでした。それに対して彼は、曖昧な微笑と曖昧な言葉とを返しました。
「そうですね……。」
彼はなんだかぼんやりしていました。頭脳の調子が鈍っているようでした。その代り……ただ、まじまじと眼を見開いていました。すべてがふしぎに新らしい、そういう気持ちでした。
そして彼は、母の髪の中に、多数の白髪を見ました。父の手の甲に、隆起した静脈の網目を見ました。妹の顔に、雀斑が濃くなったり淡くなったりするのを見ました。姉の幼児に、長い睫毛を見ました。庭の木斛の葉に、雀の白い糞を見ました。御影石の門柱に、新らしい欠け跡を見ました。そのほか、無数のものを見ました。それからまた焼け跡の耕地に、麦の葉がそよいでるのを見ました。電車の腰掛に、はみ出てる藁屑を見ました。廃墟のビルヂングに、三十度も傾いてるコンクリートの壁を見ました。焼け跡のあちこちに、湯屋の煙突だけがたくさんつっ立っているのを見ました。そのほか、いろいろなものを見ました。それからまた、この広い荒野のなかに、ぽつりぽつりと建てられてるバラック小屋を見、ぎっしり立ち並んでる古い日本家屋の聚落を見、高層な洋式建物が軒を連ねてるのを見ました。或る処には、人影もない寂寥を見、或る処には、群衆の雑沓を見ました。群衆のなかには、他国の兵士も見ましたし、また、長途の困難な旅行者のように荷物を背負ってる人々を見ました。そのほか[#「見ました。そのほか」は底本では「見ました。 そのほか」]、さまざまなものを見ました。
それらのものが雑然と積もり重なって、異邦にあるような思いをさえ起させました。その思いがますます、草光保治に眼を見張らせました。