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TORENDIA

握った手

本文約11,200字 ・ 読了時間 約23分

あらすじ(AIが作成しました)

映画館で偶然隣席の女性の手を握った松夫は、その行為がきっかけで女性と交際を始めるが、彼女も誰にでもそうするのではないかと疑念を抱き、常に心理的な苦痛を感じている。ある日、松夫は心理学を学んでいた同級生の水木由子と庭園で対峙する。彼は彼女に自身の内気な性格や葛藤を打ち明け、過去の行為を詫びる。彼女の言葉に救いを求める松夫だったが、二人の間には決定的な距離があり、新たな関係が築かれることはなかった。

坂口安吾

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松夫はちかごろ考えすぎるようであった。大学を卒業して就職できたら綾子と結婚しようと考える。以前はそうではなかった。かりそめの遊びの気持であったが、だんだんそうではなくなって、必ず結婚しなければ、と考えるようになった。

彼が考えすぎるにはワケがあった。松夫と綾子との出会いは甚だしく俗悪で詩趣に欠けているのである。ある映画館であった。隣席の娘が愛くるしいので松夫は心が動いた。映画のラヴシーンと現実とが、一時的に高揚して、アッと思うヒマもなく隣席の娘の手を握ってしまったのである。

松夫は美しいひとの顔をマトモに見ることができないような内気で、すすんで美女に話しかけるような芸当は望んでも得られぬことであった。彼は内気を咒っていた。すすんで美女に話しかける勇気が欲しいということは彼のかねての願望で、その一ツの勇気によって自分の人生に大転換が起るはずだがと考え、内気を咒って味気ない日々に苦しんでいたのであった。

その彼が見知らぬ娘の手を握ったのは、その時彼の魂がどこかへ抜け出ていたせいだ。多少の勇気も加味されていたかも知れぬが、要するに一期の不覚と申すべきものであった。しかるに娘がその手をきつく握り返したから、軽犯罪法のお世話に相成るべき不審の挙動が天下晴れての快挙と相成り、福は禍の門と云うが如くに禍根を残すこととなった。

松夫は一度だけこう云った覚えがある。

「君が隣席へ坐った時からキレイな人だなアと思っていたのだよ。それで映画に亢奮するとつい衝動的に握っちゃったんだ。君が握り返してくれた時にも、まだボンヤリしたままだったよ」

すると綾子も一度だけこう答えた。

「私もあなたが一目で好きになったのよ。フラフラッと隣へ坐っちゃったでしょう。見抜かれたみたいで口惜しかったわ。ヨタモノだと思ったわよ。でも、握り返しちゃったのよ。蓮ッ葉に思われるのが辛いわ」

この会話は一回きりである。二人の仲が深まり、遠慮がなくなるにつれて、このことにだけは再びふれなかった。

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