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TORENDIA

お奈良さま

本文約10,100字 ・ 読了時間 約21分

あらすじ(AIが作成しました)

生れつきオナラが止まらない住職は、僧侶の勤めと生理現象の狭間で苦心しながら暮らしている。ある葬儀で豪快なオナラをしたところ、それが死者の大往生に繋がったと称賛される一方で、周囲から無作法だと激しい批判も浴びる。世間の視線と自身の体質に葛藤するなか、住職はオナラを抑えようと節食や我慢を重ね、心身ともに衰弱していく。やがて妻との対話を通じて自身の人生を振り返り、最期の時を迎えるまでを描く物語である。

坂口安吾

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お奈良さまと云っても奈良の大仏さまのことではない。奈良という漢字を当てるのがそもそもよろしくないのであるが、こればかりは奈良の字を当てたいという当人の悲願であるから、その悲願まで無視するのは情において忍びがたいのである。

お奈良さまはさる寺の住職であるが、どういうわけか生れつきオナラが多かった。別に胃腸が人と変っているわけではないらしく到って壮健でまるまるとふとってござるが、生れた時から絶えずオナラをしたそうで、眠っている時でもオナラは眠らない。目をさましている時ほどしょッちゅうというわけではないが、大きなイビキと大きなオナラを同時に発するというのはあまり凡人に見かけられないフルマイだと云われている。彼の言明によると、十分間オナラを沈黙せしめる作業よりも、一分間に一ツずつ一時間オナラを連発せしめる作業の方が楽だということである。

坊さんは職業としてお経をよむ。ところがこの読経というものは極楽との通話であるから魂が天界を漂うせいかオナラの滑りがよくなってどこに当るということもなくスラスラとつらなりでるオモムキがある。例月例年の命日の読経などはさしつかえないが、葬式やお通夜の場合は泣きの涙でいる人も多いのだから大音を発しすぎてはグアイがわるいようであるが、オナラの戸締りに力をこめてお経を読むわけにいかないので、自然あきらめるようになった。ちかごろでは心境も円熟したから、泣きの涙の人々を慰めてあげるような意味において心おきなくオナラをたれることができるようになった。

さすがに若年未熟のころは檀家の門をくぐる時にも胸騒がしく、人々が彼のことをオナラサマと陰で云ってるものだから、仕方なしに檀家の玄関に立った時に自分の方から「ハイ、今日は。オナラサマでございます」と名乗りをあげて乗りこむような苦心をした。さすがに憮然として人知れずわが身の定めに暗涙をのんだような静夜もあって、せめてその文字だけはお奈良さまをあてたいと身を切られるような切なさで祈りを重ねた年月もあった。

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