本文へ移動
TORENDIA

江口渙氏の事

本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

江口渙という人物を、その複雑で陰影に富んだ性格や、創作家としての才能、批評家としての鋭敏な視点から考察する。黒熱した鉄に例えられる一本気で病的な執拗さを秘めた人柄を分析し、人間的興味を軸にした作品の傾向と描写力を評価する。既存の誤解を解き、その真の価値を正当に位置づけようと試みる人となりや批評家としての強みを綴る文章である。

芥川龍之介

速度
🎧 江口渙氏の事 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

江口は決して所謂快男児ではない。もっと複雑な、もっと陰影に富んだ性格の所有者だ。愛憎の動き方なぞも、一本気な所はあるが、その上にまだ殆病的な執拗さが潜んでいる。それは江口自身不快でなければ、近代的と云う語で形容しても好い。兎に角憎む時も愛する時も、何か酷薄に近い物が必江口の感情を火照らせている。鉄が焼けるのに黒熱と云う状態がある。見た所は黒いが、手を触れれば、忽その手を爛らせてしまう。江口の一本気の性格は、この黒熱した鉄だと云う気がする。繰返して云うが、決して唯の鉄のような所謂快男児などの類ではない。

それから江口の頭は批評家よりも、やはり創作家に出来上っている。議論をしても、論理よりは直観で押して行く方だ。だから江口の批評は、時によると脱線する事がないでもない。が、それは大抵受取った感銘へ論理の裏打ちをする時に、脱線するのだ。感銘そのものの誤は滅多にはない。「技巧などは修辞学者にも分る。作の力、生命を掴むものが本当の批評家である。」と云う説があるが、それはほんとうらしい嘘だ。作の力、生命などと云うものは素人にもわかる。だからトルストイやドストエフスキイの翻訳が売れるのだ。ほんとうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇団でもストリンドベルクやイブセンをやりはしない。作の力、生命を掴むばかりでなく、技巧と内容との微妙な関係に一隻眼を有するものが、始めてほんとうの批評家になれるのだ。江口の批評家としての強味は、この微妙な関係を直覚出来る点に存していると思う。これは何でもない事のようだが、存外今の批評家に欠乏している強味なのだ。

芥川龍之介の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本