久米正雄
本文約680字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
三汀久米正雄について、新時代の浪漫主義者としての多感多情な一面や、悲しみを耐え抜く勇ましさを論じる。作者は彼と酒を酌み交わした際の思い出や、その生活態度、揺るぎない一家の風格に触れながら、人生を薔薇色に彩ろうとする浪漫的な姿勢への共感を綴る。随筆という形式をとり、多面的な魅力を持つ対象への敬意と、旅へ出た友人への追憶を込めて彼の人となりを鮮やかに描写する評論である。
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……新しき時代の浪曼主義者は三汀久米正雄である。「涙は理智の薄明り、感情の灯し火」とうたえる久米、真白草花の涼しげなるにも、よき人の面影を忘れ得ぬ久米、鮮かに化粧の匂える妓の愛想よく酒を勧むる暇さえ、「招かれざる客」の歎きをする久米、――そう云う多感多情の久米の愛すべきことは誰でも云う。が、私は殊に、如何なる悲しみをもおのずから堪える、あわれにも勇ましい久米正雄をば、こよなく嬉しく思うものである。
この久米はもう弱気ではない。そしてその輝かしい微苦笑には、本来の素質に鍛錬を加えた、大いなる才人の強気しか見えない。更に又杯盤狼藉の間に、従容迫らない態度などは何とはなしに心憎いものがある。いつも人生を薔薇色の光りに仄めかそうとする浪曼主義。その誘惑を意識しつつ、しかもその誘惑に抵抗しない、たとえば中途まで送って来た妓と、「何事かひそひそ囁き交したる後」莫迦莫迦しさをも承知した上、「わざと取ってつけたように高く左様なら」と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下駄音と共に消すのも、満更厭な気ばかり起させる訳でもない。
私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸に米を啄み家鴨は水に泥鰌を追うを悟り、寝静まりたる家家の向う「低き夢夢の畳める間に、晩くほの黄色き月の出を見出でて」去り得ない趣さえ感じたことがある。愛すべき三汀、今は蜜月の旅に上りて東京にあらず。…………
小春日や小島眺むる頬寄せて 三汀
完