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TORENDIA

戯曲時代

本文約3,500字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

雑誌の創作欄を戯曲が占め、舞台での上演機会がないまま戯曲が量産される現在の状況を「戯曲時代」と呼び、著者はその実態を辛辣に批評する。小説の一形式として消費される似而非戯曲の横行を指摘しつつ、既存の新劇団に代わる素人劇団の出現を提唱する。正しい演出と真摯な稽古を重んじる新しい演劇の創造を説き、既存の枠組みに縛られない新たな表現者たちの台頭と、ミュッセのような先駆的な作家の出現を熱烈に期待して、閉塞した演劇界の革新を促す。

岸田國士

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🎧 戯曲時代 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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雑誌の創作欄が、昨日までは小説のみで埋められてゐたのに反し、読み物としての戯曲が可なりの頁数を占めるやうになつた今日の時勢を、誰かゞ、名づけて戯曲時代と呼んでも、それは少しも不思議ではない。

『戯曲時代』――これは、また、十月創刊の一同人雑誌の標題である。その同人の一人が、自ら「劇芸術界の山椒」と名乗るその雑誌の内容については、他に、之を評する適任者があらう。それはさうと、雑誌『戯曲時代』を生んだ世界未曾有の戯曲時代――故意か偶然か、その時代に生れ合せて、同じく戯曲作家の仲間入りをはじめた僕の――僕とは限らないが――さういふ人間の、心持ちに少々立ち入つて見たら、表面は兎も角、存外悪い時に出て来たといふやうな、後悔に似たものがありはしないだらうか。

なぜかと云へば、戯曲時代といふ素晴らしく景気のよささうな言葉の裏には、独身主義とでもいふやうな、一種の寂しい響きが籠つてゐるからである。

それは、誰でも感じてゐる通り、舞台の暗黒時代、俳優の払底時代を意味してゐるのではないか。つまり、演劇の演劇としての恐慌期を意味してゐるのではないか。

それと同時に、戯曲は、戯曲としての本質に関係なく、殆ど小説の一形式としてその存在を主張し得ることを意味してゐるのではないか。従つて似而非戯曲が、傲然として真の戯曲を――若しあるとすれば――真の戯曲を尻目にかけてゐられることを意味するのではないか。

更にまた、「会話で筋を運ぶ物語」が、「地の文を使ふ物語」ほどにうまく行かないのは当り前だといふ――まあ、聴いておいでなさい――さういふ口実に道理を与へ、戯曲は小説ほど渾然たる芸術的表現に達し得ない――少くとも、それは困難であるといふやうな遁辞が、公然と通用することを意味するのではないか。

そして結局、当分は、何か書きたい連中が、小説の方が六ヶ敷さうだからとて、所謂「戯曲らしきもの」を書き連ね、それを咎めるものがないのをよいことにして、「今が戯曲の書き時」だと悦に入る――さういふ時代を指してゐるのではないか。

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