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TORENDIA

横槍一本

本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

外国文学を味わう際、その国の人間と同じように理解することは不可能という説を検討する。日本人が外国文学を模倣しつつも、その本質的な魅力や味わいを理解しないまま創作を行っている現状を批判する。真の芸術を享受するためには、語学力だけでなくその国の生活を知り、鑑賞力を磨く必要があると説く。読者や批評家に向けて、安易な評価を避け、日本文学が本来持つべき価値や独自の味わいを追求する重要性を論じる随筆である。

岸田國士

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🎧 横槍一本 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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この頃、二三の人が新聞や雑誌でかういふ議論をしてゐる。

「外国文学を味はふ場合、その国の人が味はひ得る味を、外国人たるわれ/\が同じやうに味はふことは不可能である」

至極尤もな説である。

多くの人々と同様、僕も、此の問題については再三考へたことがある。

然し、問題をもう一歩進めて、それならば一つの作品を、甲の人間が味はひ得る如く、乙の人間が味はひ得るか。

更に、問題を押し広めて、それならば、外国文学を味はふために何等の準備も必要でないか。どの程度まで準備をすれば満足だと云ひ得るか。

外国文学など味はふ必要はないといふ徹底的な態度に出られなければ、つまり、外国文学を味はひたいといふ欲望があれば、どういふ味はひ方ができればいゝのか。

その国の人間が味はひ得る味をそのまゝ味はふことができなければ、その作品を味はつたと云ひ得るか。

勿論、理想に於てゞある。

その味が、つまり、作品の芸術的価値を全部ではないが、可なり左右してゐるものではないか。

日本人の外国文学を味はふ、その味はひ方が、これまで、あまり独り合点ではなかつたか。日本人の解り方で、あまり満足し過ぎてはゐなかつたか。つまり、どこかでも言つたが饅頭の皮ばかり食つて、これが饅頭か、なか/\美味いとか、どうも甘くないとか、そんな勝手なことを云つてゐたのではないか。

文学と、話の筋とを混合してゐる批評の多いことなど、やはり、そんなところから来てはゐないか。

これで、現代の日本文学が、もつと外国文学の影響を脱してをり、尠くとも、日本在来の文学的伝統の中に育つて来たものでゝもあれば、「外国文学は外国人と同じやうに得られなくてもいゝ」などゝ平気で云つてをられようが、実際は外国文学の模倣から出発してゐるところが多い。

殊に戯曲は、日本の現代劇は、それより外、仕方がなかつた。自然、お手本と云へば、西洋の戯曲である。その西洋の戯曲が「西洋人と同じやうに解らなくつて」一体どこに感心し、どこに惹き附けられ、どこを真似ようとしたのか。

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