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TORENDIA

新劇運動の一考察

本文約6,100字 ・ 読了時間 約13分

あらすじ(AIが作成しました)

現代日本における「新劇」が外国劇の影響により偶然生じたものであり、歴史的必然性や強固な伝統を欠いている点を批判する論考。歌舞伎や近代的な演出に依存する現状の演劇様式を見直し、西洋古典劇の深い理解を通じた「新日本劇」の樹立を提唱する。さらに、翻訳劇上演における形式的な模倣の危険性を指摘し、近代人の鋭敏な感覚に訴えかける本質的な戯曲美と、新たな演劇様式の創造の必要性を論じる。

岸田國士

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🎧 新劇運動の一考察 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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僕は嘗て、今日われわれが「新劇運動」と称へるべきものは、明かに所謂近代劇運動なるものと区別して考へなければならないことを述べた。

現代の日本に於て、この二つが、殆ど同様の意味に用ひられてをり、外国劇の影響と刺激より出発した凡ゆる演劇が等しく近代劇と呼ばれ、新劇と呼ばれてゐるところに、僕は、現代日本劇の行詰まつた結果を発見する。

問題は名称の如何に在るのではない。西洋に於て必然に歴史的意義を掲げて生れ来つた近代劇が、偶々、日本に輸入され、その啓示によつて、日本伝来の演劇に一つの革新運動が齎らされた事実を顧みても、その革新によつて生れた一つの演劇様式が、在来の伝統劇に対して、近代劇の名を附せられることは、その根本に於て著しい誤りを含んでゐる。よしこれに近代劇の名を許すにしても、西洋の古典劇に対して、日本近代劇は如何なる立場にあるのか、肯定的にせよ、否定的にもせよ、この立場が明かでない以上、日本近代劇は断じて西洋の近代劇とその歩調を倶にすることは不可能である。

ここで欧米に於ける近代劇運動の歴史を詳説する暇はないが、われわれが、真にその名に応はしき近代劇を有ち得るためには、この意味に於て、暫く日本古来の演劇的伝統より離れ、一応欧米の古典劇へ眼を注ぐべきである。そして、時代と共に推移した一面を見極めると同時に、時代を通じて成長した一面を察知すべきである。そこに、われわれが求める真の新しき演劇様式を発見するであらう。その上で、更に、日本在来の演劇に公平な批判を下すがよい。そしてそこからは新しくはなくとも、われわれに最も親しい美的伝統を求めるがいい。

われわれが自称する「近代劇」は、実際、あまりに歴史的必然性を欠いてゐる。これがつまり文学的生命の稀薄な所以である。

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